報復への対抗策
理沙は目の前の中継用カメラを注視し、その時を待った。
「15秒前」とディレクターが告げる。無言のまま指でカウントダウンを始める。
理沙はその間に1回だけ深呼吸をした。イスに再び深く座りなおす。
そして、カウントゼロ。
「本日、私は木星管理区の行政官として、今までの不当な制裁に対する対抗策を発表いたします」
数秒の間を置いて、カメラのレンズの向こう側にいる100億以上の人々を意識しながら、言った。
「本日15:00の輸送便をもって、地球への核融合燃料の輸送を停止いたします。再開予定は未定です」
引き続き、その事に伴う考えられる影響について、淡々とした口調で簡潔に述べた。
あれこれ述べる必要もない。理沙がこの日のために用意した声明はメモ用紙半分にも満たないほどの量だった。
中継を終えると、理沙はすぐに席を立ち、スタジオを出た。
部屋を出たところで実施主任が待っていた。
「さて、これで」
もう引き返せないところまでやってきてしまったと思うと、改めて責任の重大さを実感した。
「1時間後の反応を待ちましょう」
* * * *
その日の1か月ほど前、理沙は合衆国大統領からの私信を受け取った。
議会は方針をどうするかまだ決めかねていた。
火星の処置については、責任者の更迭だけであとはすんなりと片付いたが、
木星では自給自足体制を既に完成させ、
一方的な管理者のシステム権限剥奪も、直子の助けを借りながら乗り越えてしまった。
次から次へと下される制裁に対して、対抗策で着々と乗り切っている木星管理区に対して、
あとは心理戦で揺さぶりをかけようとしているのだろうか、そんな事を想像しながら理沙は私信に目を通した。
理沙のことを行政官と呼んでいる最初の一文で、内容が想定の範囲内であることを感じ取った。
[無益な争いはやめて、国難に対してともに協力しながら立ち向かおう]
その大統領からの呼びかけに、では、その国難とはいったい何なのかと、少々首をかしげてしまった。
それは大統領のいつものやり方だった。
柔らかな文言の後には、強烈な脅しの言葉が待っていた。
[もし協力が得られないのであれば、私たちはあなたたちを敵と認識し、しかるべき行動に出る]
ほぼ完成しているレーザー発振基地を、大統領は武器と断定し、
武力行使に出るのであれば、合衆国そして地球国家の威信をかけて闘うと大統領は述べた。
[木星に住む約1万人の人々のプライドを守ることが大切なのか、そもそも命を賭けるほどの事なのか、
冷静になって考えるべきだと私は考えます]
そこまで述べたところで、大統領は理沙に対して条件を提示してきた。
もし、理沙が行政官の立場を降りて、敵対的な態度をやめるのであれば、
住民1万人の命は保証するし、処遇改善についても約束する。
また、理沙と直子含めた管理職の処遇についても、公職追放されることはあっても、
今回の反逆に関する責任を求める事はしないし、一般市民として普通に生活することは可能であるとの事。
脅しと逃げ道を用意して、揺さぶりをかけようとしているのか。
私信を読み終えると、理沙は天井を見つめながらしばらくの間考えていた。
携帯端末の、全管理職あてのコールで、理沙は呼びかけた。
「21時から会議を行います。集まってください」
管理職10名が会議室に集合したところで、理沙はさっそく合衆国大統領からの私信の内容について触れた。
理沙は、自らの処遇に対しての部分については触れずに、内容について簡潔に述べた。
「無益な争いはしたくないというのは、本心であると思っています。
まだ大統領は自らの手の内は明らかにしていませんが、私は、軍を木星まで派遣して制圧するものと考えています。
そうなることを想定して、レーザー発振基地を構築したことは間違ってはいなかったわけです」
しかし、最初の制裁からまもなく2年になる。自分たちの処遇改善要求という目的の元、いったんは盛り上がっていた気持ちも、
そろそろ精神的に疲れてきた頃である。
小さな苦言は会議の場ではたびたび上がっていたが、明らかに戦争を意識している大統領からの私信内容に、
「そろそろ、取引を真剣に考えた方がよいのではないかと思いますが」
生産部門の最高責任者のその発言に、理沙はすぐに反応せずに少しの間考えた。
「現場でも、今まで張りつめていた気持ちが、揺らぎかけているように見えます」
理沙が反応しないので、彼女はさらに言葉を続けた。
「私たちに、命の覚悟を求めているのでしょうか?」
理沙は、生産部門責任者のことを直視した。
「武力は手段のひとつです。ですがあくまでも最後の手段であると考えていますが」
そして、引き続き交渉を重ね、最後まで諦めたりはしないと理沙は全員の前で言い切った。
言い終えて理沙は、隣に座っている直子の視線がなぜか気になった。
数か月前、直子が管理職権限剥奪を解除するところを直接目にしたあの日、
理沙は自分でも今まで意識していなかった、お互いが持っている特殊能力の事を知り、
直子が今この時に、深層心理からダイレクトに語りかけてくるのではないかと思った。
もしかしたら、直子は心の奥の動揺を見抜いているのではないだろうか。
そんなことを気にしながらも、理沙は話を続けた。
「近々、私信の内容をもとにした、大統領からの正式な声明が行われるものと思います」
引き続き、地球側とはどのように事を進めるかは考えるものの、
現場としては、核融合燃料輸送停止も含め、考えられるオプションについて具体的に検討するように理沙は指示した。
会議を終えると理沙はすぐに立ち上がった。
まだ席を立とうとしない直子と、なぜか目が合った。
彼女は何も言わなかったが、その目はこう言っているように見えた。
[大統領は、私たちの処遇について、何か触れていたの?]
* * * *
生産部門責任者からの、覚悟を求められるような発言が理沙の心に突き刺さっていた。
家族含めて木星で生活をしている者もいるが、1万人のほとんどは単身赴任で家族を地球に残していた。
自分のことで地球にいる家族に迷惑がかかっていないか、日々精神的苦痛を味わっていないだろうか、
考えればきりがない。理沙自身も、家族のように思っているれいなと美紀そして馴染みの客たちがいる。
その日の会議も、いつもと変わらず、各セクションからの定例報告が続いていた。
一番最後に、有事に備えた特別タスクからの報告が行われる。
1万人収容可能な居住区の設備は完成しており、居住区全体を包み込む、氷のブロックのシールドも完成していた。
理沙はその報告に対して満足げに頷く。
しかし、予想した通りに、生産部門責任者から発言が出た。
「ストレスが解消できずに、現場で不満が爆発しようとしています」
対抗措置に出るべきだ、いや交渉を前向きに進めるべきだと、現場の中では意見が二分しているとの事。
彼女のその発言をきっかけとして、他の現場管理職からも同様の発言が出た。
会議をコントロール出来なくなるのではないか、そんな直子と大佐からの視線を感じながらも、理沙は、
「行動すべき時に、行動するというのが私の考えです」
そしてさらに付け加えるように、
「それとも、1万人全員で決をとりますか?」
* * * *
木星で、今後の方針についての声明が行われたその日も、
遠く離れた地球の理沙の店ではいつものように、れいなと美紀が店を切り盛りし、
以前ほどの盛り上がりはないものの、馴染みの客が夜の9時過ぎからちらほらと店にやってきた。
世間の喧騒から離れたところで、静かに酒を飲みながらとりとめもない話をしている。といった状況か。
しかしその日、客は皆ニュース映像を注視していた。
木星からの核融合燃料供給が止まるということで、エネルギー危機の懸念が今は一番の話題になっていた。
原子力の安全神話は遥か昔に崩壊し、太陽光と風力エネルギーも、利益優先で無計画に急拡大をしたのちに、
短い寿命の設備はやがて放棄され、残骸となり忘れ去られてしまった。
そんな破綻したエネルギー政策にとって、核融合エネルギーは最後の希望となった。
その最後の希望も、今日の木星からの声明であっけなく消え去る。
画面の中で淡々と宣言を読み上げる理沙の姿を見て、世間の人々からは罵声と怒号が飛び交っていた。
しかし、店の中の雰囲気は世間とは大きく異なっていた。
客たちは、ニュースの中で理沙の発言に批判的な各界の有識者のコメントに対して反論していた。
「いやいや、理沙ママ頑張っているじゃないか」
どれだけ批判され、制裁されようとも、自分の初心を変えずに着々と事を進めている。
本当に地球国家の事を思っているのは、いったいどちらの方なのか?
「もっと頑張れ~」
「どんどん意見を言ってやればいいんだ」
無力な自分たちの思いを、理沙は代弁してくれている。
万歳の声が、自然と店内に湧き上がってきた。
「俺も木星に行って、一緒に闘うぞ」
異常なほど盛り上がっている店内の様子を、れいなと美紀は少し冷めた目で見つめていた。