ターゲット設定
「揚陸艦は、来週には木星衛星圏内に入ります」
理沙は、会議室ディスプレイに表示される、揚陸艦の予想コースを示したあとで、言った。
「今日から最高時警戒レベルを宣言します。24時間臨戦態勢です」
各プラットフォームの責任者に対して、あらかじめ指示された防御体制をとること、
また宇宙船は作業プラットフォームとの接続を解除して、同様に防御体制をとることを指示した。
事前に調整済みの事であり、訓練は何度も行われているので、責任者からは淡々と了解の返答が続く。
他に課題事項はないかの確認、そして管理職からの追加の連絡が続き、そのあと会議室は静かになった。
静けさの中、理沙は自分に全員の視線が集まっているのを感じ取った。
しかし、すぐには語らず、正面のディスプレイ画面に視線を向けたまま、その時を待った。
「あとは。。。」
口を開いたのは直子だった。
「ターゲットの設定と、発射のタイミングです」
理沙は小さく頷いた。そして、しっかりとした口調で言った。
「ターゲットは、2隻の揚陸艦に設定。そしてミサイルが発射された際にはミサイルに対する破壊措置を」
「開戦宣言は?」
直子は再び、理沙に問いかけた。
「既に開戦宣言は出されている状態であるとの認識です。あとは、どちらが先に攻撃するかという事かと」
理沙のその発言で、会議は自然に終わるものと思われた。
しかし、直子はまだ発言したいようである。
「行政官」
理沙は再び直子に視線を向けた。
「あなたに問いかけたい事が。あなた自身の覚悟についてです」
兆候は、この数か月で顕著に現れてきた。
理沙もその事を見て見ぬふりをしていたわけではない。軍人として長年鍛え上げてきた勘からなのか、
内部反乱や、士気の低下には前触れがあることを良く知っている。
しかし、同じ仕事をする仲間同志とはいえ、軍と事業団の垣根を越えて介入することはできない。
越権行為だと理沙は思っていた。
直子から覚悟について問いかけられ、軍の内部ではかなり深刻な事になっているのだと直感した。
「わかりました」
そして理沙は、会議を早々に終わらせて、会議室で直子と2人だけで話をすることにした。
実質上の最高責任者である2人は、会議テーブルを挟んでしばしの間無言だったが、
「大変な事になったわね」
理沙が口火を切ると、直子もまた話し始めた。
「困ったわね。この期に及んで」
「私、かなり先走ったかしら?」
直子は少し視線を天井に向けて、考えていた。
「または、私の行動を快く思っていないか」
「率直に言えば、後者の方」
やっぱりね。。。。と理沙は小さく呟いた。
命令で動くのが軍隊であるとはいえ、腹の底では反抗の炎が燃えている。
「でも、あたしが食い止めていたから大丈夫。今日まではね」
「それが、覚悟の話につながるわけね」
直子は頷いた。
「あなたは今まで最高責任者としてしっかりやってきた。それは認めます。でも国同士の戦いを前にして、
あなたからもっと強いメッセージが欲しいです。このコミュニティ全体としての意志というか」
「独立宣言?」
「まぁ、それが一番適切かも」
腕組みしながら、理沙はしばらくの間考えた。
残された時間は数日しかないが、その間にそのような強いメッセージを作り上げることができるのか?
「今この木星に、それができるのはあなたしかいない」
少しでも、自分が弱いところを見せてしまったら、今まで組み上げてきた全てのものが失われてしまう。
数十年かけて構築した、核融合燃料採取から地球までの輸送を担う、巨大な物流システム。
太陽から離れたところでも、独立した社会生活を確立することができる、社会インフラ。
あと足りないものは、この木星でのコミュニティの中心を貫く、全体としての意志。
思い悩んでいるように見えた理沙の表情が変わった。
「ちょっと考えてみます」
突破口が見つかったというか、吹っ切れたようなその表情に、直子は一抹の希望のようなものを感じた。
まだ他にも、自身の気持ちの中でとどめている懸念事項は沢山あったが、
直子は理沙のその言葉を信用することにした。
「明日までには、いや、あと半日中には考えをまとめます」
2人は会議室を出ると、互いに別々の方向に歩き始めた。
しかし、直子がすぐ近くの移動用シャフトに乗ろうとしたところで、再び理沙に呼び止められた。
「直子ちゃん、一つお願いが」
直子は、シャフトには乗らずに振り向いた。
「あなたからも、全員の前で話してもらいたいの」
* * * *
非常事態が宣言されてから、これで何度目だろうか。
理沙は執務室の自分のデスクから、画面の向こう側にいる1万人に対して話し始めた。
[あと数週間のうちに私たちは、人類の歴史上、初めての経験をすることになると思います。
地球を離れて、地球には頼らない生活を確立して、自分たちが作り上げたコミュニティを中心に自給自足する。
地球人とは呼べない、新たな人類が誕生することになります。
私たちは、その最初の世代になります。
木星人と呼んでもいいでしょう。同様に今回の出来事をきっかけとして月や火星の人類も誕生することになるでしょう。
だからといって、私たちは地球人と敵対して戦争になることは望みません。
私たちの願いは、太陽系全体を一つの経済圏とした、巨大な人類生活圏を作り上げて、共存共栄することです。
だからこそ私は今、皆さんに問いかけたい事があります。
自分たちの存亡がかかっているこの大事な時に、もし気持ちがぐらついているのであれば、
私は引き留めたりはしません。地球に残した親族のことを気にかけているのであれば、私は引き留めません。
さらに、もし私のためにこの場にとどまっているのであれば、やめたほうがいいと思います。
私のためでなく、この先の人類の未来のために、この木星を故郷とすることになる人々の事を思ってください。
この先の未来のために、戦ってください。
地球との戦いを生き残り、これから先続く未来の事を思ってください。
それが、私が皆さんに問いかけたい事です]
遠くから自分のことを呼ぶ声がした。
同じような経験は何度かあったが、その声は自分の意識に直接語りかけているようなものだった。
そこで突然に理沙は目が覚めた。
考え込んでいて、うとうとしてしまったようである。
あまりにもはっきりとした内容の夢、そして本当に呼ばれたのではないかと思えるような直子の声。
まだ記憶が鮮明なうちに、夢の中のその演説の内容を理沙は書き留めた。
* * * *
理沙がその演説を、実際に木星の人々に対して述べたその日から、非常警戒レベルはさらに上げられた。
揚陸艦2隻は、木星の広大な磁気圏内に入り、減速体制に入っていた。
外部からの攻撃に対して、一番脆弱な状態であることから、おそらく揚陸艦内でも最高警戒体制にあるはずだった。
攻撃するには最良のチャンスであり、既にレーザー発信基地は揚陸艦2隻にターゲットをロックオンし、
常に追尾を続けていた。
核ミサイルが発射されてしまえば、破壊措置はさらに困難になってくる。
接近戦にでもなれば、なおさら戦いは激しくなり、状況は木星人側に非常に不利になるばかりである。
だからこそ、今はいつその時がやってきてもいいように、冷静な気持ちで静かに構えているべきだった。
先に手を出せば泥沼の戦争に突入することになる。
理沙と直子、そして大佐は3交代で中央制御室で指揮を行っていた。
「周回軌道まで、あと62時間」
時々刻々と変化する、揚陸艦の位置情報がディスプレイ上に示され、
同じ情報が船内各所の情報ディスプレイ上にも表示され、住民たちもまた自宅のディスプレイで確認することができた。
船内は、非常警戒体制ということもあり、通路にはほとんど誰も歩いていない。
移動用シャフトも、必要最小限の台数しか稼働していない。
居住区では商店街や公共設備もみな休業状態。
住民はみな自宅で待機することを強制され、窓のシャッターを閉めて居間か寝室で過ごすように求められている。
そんな息の詰まるような船内の中で、活気があるのは中央制御室と動力セクションのみである。
船と住民の生活を守り抜くために、3人のトップを中心に、スタッフ皆が必死になっていた。
交代の時刻になり、理沙が中央制御室にやってきた。
「全セクション、特に問題ありません」
直子は艦長席から立ち上がり、理沙に敬礼した。
「ご苦労様」
理沙は小さく頷き、艦長席に座った。