感謝の夕べ
揚陸艦2隻は、すでに木星の防衛圏内に入っていた。
合衆国大統領とのホットラインは、いつでも会話ができるようにスタンバイ状態にあったが、
地球までの1時間のタイムラグもあり、すべては現場で判断をしなくてはいけなかった。
それは揚陸艦の乗組員にとっても同じ事だろうと思われた。
直子はふと指揮官席を立ち上がり、すぐそばで待っている理沙に席を譲った。
直子はゆっくりと中央制御室中央の作戦テーブルに向かった。
最高度の緊張感の中で、オペレーターや作戦スタッフがその時に備えて準備を進めていた。
取り囲むディスプレイには、木星とその周囲を周回する作業プラットフォーム、生産プラントが表示され、
3基のレーザー発振基地が揚陸艦にターゲットを合わせて待機していた。
ターゲットまでの距離を機械的に読み上げるオペレーターの声だけが場内に響く。
作戦テーブルの木星の立体映像を横目にしながら、直子はちょうど部屋の中央に立った。
ゆっくりと呼吸し、改めて中央制御室を眺めると、なぜか全てが愛おしいもののように思えてきた。
オペレーターと作戦スタッフ、総勢30名ほど。
しかし船内の居住設備には、作業プラットフォームから避難してきた者も含めると約1万人。
しかしそれだけではなく、太陽系内の月や火星やスペースコロニーの居住者すべてが同じようにいとおしく思えた。
直子は静かにその場に立ち、自然と皆の視線が自分に集まるのを待った。
ターゲットまでの距離を読み上げるオペレーターとふと目が合った。
直子は静かに話し始めた。
* * * *
「おそらくあと数時間で決着がつくと思われます。
皆さん、作業はそのまま継続してください。
少しだけの間、私は皆さんにお話したいと思っています。堅苦しい訓示ではありません。まずは皆さんすべてに感謝します。
この中央制御室で働く皆さん、非番で自室で待機している皆さん、不安な心境でシェルターに避難している皆さん。
そしてこの間も作業プラットフォームを命がけで守り続けている皆さん、皆さんすべてに感謝します。
地球を離れ遠い木星で、皆さんは高いモチベーションを持って働いて下さっています。
地球のエネルギー需要を支えるという高い使命感を持ちながら働き、度重なる国からの方針転換がありながらも、
生産を止める事はなかった。
どうしてこのような危険な現場で働いているのに国はなぜ報いてくれないのか、それどころか国家に対する反乱だと言いながら
私たちに圧力をかけようとしている。
私たちの望んでいることはそんな事ではありません。
ただ、普通に仕事をして、それに見合った報酬をいただき、地球国家と同等の待遇が欲しい。それだけです。
何も難しい事はありません。普通に生きる権利が欲しいだけです。
地球国家も太陽系内の居住地も同じです」
「私のような軍人が、このような発言をすることに非常に違和感を持たれると思います。
当初、私はこの木星でのプロジェクト、新型宇宙船のプロジェクトに参画した当初は、自分の心の中にある野望を果たす事が目標でした。
与えられた任務の中に、自分の生きる目標を重ね合わせていました。
核融合エネルギーの供給基地としての木星をこの手におさめて、いつかは地球と対等な立場に立つ。
木星は太陽系内の交通とエネルギー供給の中心となり、太陽系外への進出の足掛かりの場となるはずだと。
その中心に私は立つ。ですが私の考えは徐々に変わっていきました。
普通に仕事をして世の中のためになりたい。
私利私欲もなく、素直な気持ちで働き、ここ木星ではスタッフと居住者全体が家族のようなものです。
過酷なこの世界だからこそ、そのような相互扶助の気持ちが強いのでしょう。
普通に生きていたいだけです。
地球国家からの物流供給が断たれた時、皆さんの気持ちに混乱があったことでしょう。
非常な不安があったと思います。
それでも皆さんは地球に逃げることなくこの木星に残った。
一緒に闘い生き残ろうという声があがった。
独立だとかいうものではなく、同じ家族として生き残りたいという自然な気持ちがそのようにさせたのか。
私の気持ちも、徐々に変わっていきました。
自分の野望、任務、それ以上に大切なもののために私は何ができるのか。
私は皆さんの前面に立って闘います。
皆さんの生活のため、普通に生きる権利のために私は闘います」
「将来のある日、今日のこの日が歴史上のターニングポイントだったと、振り返る日がやってくると思います。
私たちはその最初の世代です。
地球を離れ、生活の場を作り始めてはいますが、心の中では地球を故郷と思い、拠り所としていた。
でもその気持ちから脱却してようやくひとり立ちした。
それでこそようやく地球外の宇宙民族として、独り立ちしたと言えるのではないか、と私は思います。
真の宇宙での居住者として。
そして太陽系内、太陽系外へと足を踏み出して、生活圏を拡大してゆく。
地球に住んでいた時に抱えていた、主義主張、思想、領土、人種、そのようなものは関係なく、同じ居住者として生きる。
簡単なことではないとは思いますが、今日この日が最初の一歩です。
そのことを私に気づかせてくれたのが、我が指揮官である、私の姉です」
* * * *
直子は中央制御室の真ん中で、理沙の方を見た。
理沙も直子の方を見ていた。小さく頷いているのが見えた。
オペレーターが、作業プラットフォームEからの報告を復唱した。
「揚陸艦からのガイドレーザーをキャッチしました」
直子は作戦リーダーの脇に立ち、オペレーター一人一人に声をかけ、状況を確認した。
皆からのGoの返事を確認すると、彼女は指揮官席の理沙の元に戻って行った。
「すべてGoを確認しました。準備ができています」
「ありがとう」
理沙は立ち上がり、戦闘前のほんの一時の休憩のために、中央制御室を出ていこうとする直子に握手を求めた。
2人は硬く握手を交わした。