アイドルになれなくても

「結局のところ、あたしたち」
理沙は、互いに向かい合ってソファに座っている直子のことを、虚ろな目つきで見つめながら、
「泥臭い生き方しかできないみたいね」
「あたしも、同列扱いして欲しくないな」
しかし直子もまた、理沙と同じような虚ろな目つきで見つめていた。
「なんだか、疲れたね」
おうむ返しのように直子もまた返答する。
「疲れた」
しばらくの間、無言の時間が続いた。
しかし、2人の間では無言の会話が続いている。


結局のところ、なぜレーザーは発射されなかったのか、
また、揚陸艦から発射された核ミサイルは、なぜ爆発することなくそのまま木星へと向かって行ってしまったのか、
原因はまったく不明であった。
すべてのコンポーネントを点検し、想定される全ての障害ケースを考慮しても、このような事象は有り得なかった。
ある一部に障害が発生しても、必ずバックアップが機能し、目的が果たされるはずだった。
[そこがわからないところなのよ]
[何か、意図的な力が働かない限りはね]
[誰かが意図的に、争いになる直前で止めたわけ?]
その意図的な力は、いったい何者なのか。
[もしここで戦いが始まれば、おそらく泥沼の戦いになるだろうと予測した誰かかも]
[それは、私も予想はしていた。でも、もう私たちは今さら後には引けない]
[私たちとは、言ってないでしょう?]
[では、誰が?]
2人は宇宙船の外、木星周回軌道上へと飛び出していた。
しかしこれは2人の共通意識の中でのイメージである。
[あくまでも、個人的な意見だと思ってちょうだい]
一隻の宇宙船が、木星周回軌道上で爆発した。
爆発の直前で、小さな救命ボートがその宇宙船から出発し、その中には理沙が乗っていた。
10数年前の事故の再現である。
[どこにも連絡がとれなくて、誰からも発見されない。その時は誰かが意図的に仕組んだ罠じゃないかと思った]
[でも、亡くなる寸前で救助された]
[良く知っているじゃない]
直子は、軍法会議の記録から、理沙がその事故に至るまでの経緯、事故後の状況について熟知していた。
[それじゃ、細かいところまで説明する必要はないわね]
[でも今回の件と、その事故との関連性がわからない]
[あたしなりに思った事について、これから話すよ]
眼下には、タイタンの居住基地が見えていた。
理沙はタイタン基地での事故調査を終え、事故原因についての自分なりの考察をまとめて上層部に送り、
地球への帰途に着こうとしていたところだった。
[親友のヴェラが亡くなって、彼女の最後の記録を私が調べる事になって、本当に辛かった。
でも、調べていくうちに、彼女の研究の本当の目的と、あたしに託した願いを知って、これは大変な事になったと思った]
[彼女が自殺した事が、何か?]
[システムは彼女の死をもって、死というものがどんなものか知ったという事よ]
タイタンを離れ、土星から経由点である木星へと向かい、
その間、理沙は自分の身に何か起こるのではないかと警戒していたが、予想通りに木星周回軌道上で事故に巻き込まれた。
[その時、あたしが危険人物だと意識したんでしょう。私の報告書が専門家達にまで伝われば、大変な事になる。
最適化ルーチンだけで動いていたシステムが、死というものを初めて意識し、生に目覚めた。
生に目覚めた以上、もう死にたくはない。そのためにはまず私の事を消してしまいたい]
事故後、理沙は4週間もの間木星周回軌道上を漂い、電源が切れた救命ボート内で瀕死の状態まで追い込まれた。
過去には航空機事故で瀕死の重症を負った事もあったが、今回もまたこれで終わりだろうと理沙は覚悟した。
[でも、助かった]
[ええ]
殺すことは簡単だっただろう。チャンスはいくらでもあり、
こんなに面倒なことをしなくても、一瞬にして理沙を殺すことも出来たはずである。
[軍法会議では、随分と叩かれたよ。肝心の私が作成した報告書は上層部に届いていないし]
[それじゃ、全くの不利な状況で軍法会議に?]
[だから、記憶分析したもらったのよ]
自らが証拠であると、理沙は自分自身を差し出した。
何が決定的証拠になったのか、真相は明らかにされてはいないが、理沙は記憶分析後に釈放されることになった。
[たぶん、恐ろしい事になったと思ったのでしょうね]
[システムが意識を持って、手に負えない存在になったと]
2人は再び理沙の執務室に戻っていた。


「でもね、あたしはそうは思ってはいない」
上体を起こし、理沙は直子の目をしっかりと見つめる。
「システムも、あんがい危険な存在じゃないと思うの。確かに過去にはいろいろな重大事故はあったけど、
それは最適化ルーチンが原因であって、自己意識を持ったシステムは、今までとは違った大人の判断ができると思う」
「それが、今回の原因?」
直子もまた、起き上がって身を乗り出していた。
「まぁ、あくまでも個人的な見解だけど」
今まで心の中に閉じ込めていたものが開放されて、身軽になったのだろうか。理沙は笑い出した。
「でも、誰も信じてくれないと思う」
理沙の笑いはまだ止まらない。
直子は、そんな姉の事を見ながら、自分たちの直面している現実について案じていた。
「あたしたち、結局のところ罪人扱いというか、A級戦犯だからね」
地球政府と、木星の人々の間では、つい先日に一時的な休戦協定が結ばれた。
核融合燃料の生産は再開され、地球への輸送も再開された。
しかし、戦争になる直前まで盛り上がっていた機運は、元々無かった事のように一気に冷めてしまった。
そして理沙の考えと方針を快く思っていない者たちは、理沙と直子にすべての責任を押しつけ、一件落着とした。


「もしかして、こうなる事も予想して、賭けに出たの?」
気持ちも落ち着くと、直子は再び問いかけた。
「賭けじゃないけど、いつかはこんな時がくると思って。ただそれが早いか遅いかといったところよ」
「何億もの人を巻き込んで、まだそんな理想論を言ってるわけ?」
直子がじっと見つめてくるので、理沙は目の前で手を振った。
「だめだめ、心の中を覗き込もうとしたって無理よ」
直子は意識を集中させるのをやめた。
「ふとした事がきっかけで、木星を太陽系の交通の要所にしようと考えて、50年以上かけてここまで実現した。
もちろん、木星を繁栄させることがゴールではなくて、その先も考えていた」
「地球に頼らない、宇宙民族の事?」
理沙は頷いた。
「その事だったら、もう既に崩壊していると思う。今回の件で作業員がかなり地球へ帰ろうとしているし」
「あくまでも一時的な事よ。また徐々に機運が高まってきて、ここにはもっと人が集まるようになるよ」
波乱に富んだ21世紀は、戦争に始まり、あと数年で22世紀になろうとしている今でも、今後の先行きは不透明である。
汚染された地球上には住む場所が少なくなり、太陽系内に生活の拠点を拡大しても、
地球に頼らずに人間が繁栄を続ける事はまだ想像することは難しい。
「あたしたちは、そのためのきっかけを作ったわけよ」
「でも、みんなは支持してくれるのかしら?」
理沙は小さく首を振った。
「それはわからない、これから未来の人達が評価する事だから」

*     *     *     *

2人は、地球へ送還され、直子は軍法会議にかけられることが決まっていた。
まだ地球への出発の日は決まっていないが、2隻の揚陸艦のうち1隻が地球へ向かう時に、同乗する事になっている。
「ねぇ、軍法会議ってどんな感じ?」
「どんな感じって言われても」
実際のところ、理沙にはあまり思い出したくない事ばかりだった。
「身柄を拘束されていろいろと尋問されるわけよ」
自分が提示したい証拠は、すべてどこかに消えてなくなっていたし、
自分の存在までもが否定され、ひたすら尋問に耐える毎日に、何度も心が折れそうになった。
ただひとつの希望は、自分自身の記憶であり、自分が実際に体験した事が明らかになれば、すべてが解決すると常に信じていた。
信じて疑わないことが理沙にとっての唯一の心の支えであった。
「大丈夫よ」
そして理沙は、かつて自分の母校である士官学校の卒業式で述べた事を、再び言った。
「少なくとも、死ぬようなことはないから」
直子は、呆気にとられたような表情だったが、やがて笑いをこらえることが出来なくなった。
「姉さんって、やっぱりアイドルみたいな存在だね」
その言葉を聞いて、理沙はつい半月前に揚陸艦の艦長と対面した時の事を思い出した。
理沙はその艦長の事を知らなかったが、艦長は理沙の事を知っていた。
伝説ともなっている、理沙の軍士官学校での訓示を、彼は後日ライブラリーの中で発見して知ったのだが、
理沙の士官学校時代の経歴、首席で卒業したのは単に記録に中にのみ残る事であり、
その生き方、人となり、考え方、理沙のすべてについて彼は興味を持っていた。
いつかは直接会って話をしたいと熱望していたようだが、思いがけない形でその願いは実現した。
「でも、アイドルって表現はあたしは好きじゃない」
どうして?
直子は不思議に思った。
「みんなからちやほやされる存在には、なりたくないって事よ」


理沙にも、一時期は目指すべきアイドルのような存在がいた。
彼女の最後のステージを、直接見る事はなかったが、そのステージは今でもなお伝説として語り継がれている。
そのステージの翌日、彼女が突然この世から消え去った事で、理沙の気持ちは大きく変化した。
理沙にとって決定的だった事は、気持ちが吹っ切れて米国本土へ向かうその日、空港で見た光景だった。
出発ロビーの壁面ディスプレイに、まるで何事もなかったかのように映し出されている彼女。
追悼のつもりなのかもしれないが、まわりの人々はただ眺めているだけで、その後さっさとその場を通り過ぎてゆく。
日常の光景の中に溶け込み、まるで超自然的な存在になってしまった彼女を見て、理沙の思いは変わった。
「みんなに好かれるようなアイドルは、なんかあたしの性に合わないような気がして」
その時に抱いた強い思いのままに、理沙は今日まで生きてきたようなものだ。
「みんなに好かれるよりは、みんなに憎まれても自分のやり方を通すのが、あたしの性に合っているかな」
真顔で言っている理沙を見て、直子は再び笑いがこみ上げてきた。
「なんか、泥臭いアイドルだね」

*     *     *     *

「さて」
話題がしばらくの間途切れたところで、理沙が唐突に口を開いた。
「いい酒があるけど、直子ちゃんも飲まない?」
船内規則では飲酒は禁止されているはずだが、規則には厳しい理沙が、まさかそんな事を言ってくるとは。
「昔、フランスで核融合研究所に通っていたころに、研究所の近所の店で買ったのよ」
もう50年も前の事だから、今では50年以上ものの骨董品になるはずである。
「当時、今の事業団長官と研究所に派遣されていて、一緒に仕事していたのよ」
事業団長官と理沙が、仕事上かなりの古い仲であることは直子も知っていた。
2人共に、事業団立ち上げの段階から参画していた中核メンバーであるが、仕事以外の噂は聞こえてこない。
しかし、以前に理沙と長官がリモートで会話しているところを見たことがあるが、なんだか2人の間の空気はよそよそしい。
直子は事あるごとに、彼と過去に何かあったのか聴いてみたいと思っていた。
「そのうち、昔の長官の話でもするよ」
理沙から先に切り出されてたので、直子は酒に付き合う事にした。
「書斎の棚の隅にあるから、持ってきてくれない?」
理沙はソファーの上に横たわり、虚ろな目をしていた。
「なんだかあたし、すごく眠くなってきた」
かなり疲れているんだろうな。
なにせここ数年は、2人ともまともに休みをとってはいないのだ。
もし地球に帰還しても、しばらくは軍法会議の尋問で休む暇もないだろう。
帰還途中の揚陸艦の中で、思いっきり休みを取ることにするか。
そんな事をあれこれ考えながら、直子は書斎の棚の中に酒のボトルを探した。
ボトルは書類フォルダーに巧妙に隠されていた。
「お待たせ」
ボトルと小さなショットグラスを2つ持って部屋に戻ると、理沙はソファーに横たわり眠っていた。
何度か呼びかけたが、起き上がることはなかった。
直子は起こすのをやめた。
理沙は全てから解放されて安心したかのような寝顔だった。
まぁいいか。
ボトルとグラスをテーブルの上に置き、しばらくの間理沙の幸せな寝顔を眺めていた。
やがて、ボトルからグラスに、酒をほんの数ミリほど注いで、一気に飲みほした。
しみじみと味わうという感覚はなかったのだが、しばらくすると胸がじんわりと熱くなってきた。

*     *     *     *

そして理沙は、その後二度と目覚める事はなかった。



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