身辺整理

直子が、千葉にある理沙の家に住み始めて半年が経った。
地球に帰還し、その後2年間は軍法会議や、事業団の調査委員会の尋問に明け暮れた日々だったが、
そんな苦痛のような日々が終わり、結局のところ直子は責任追及されることなく釈放された。
軍からは退役を勧告され、形としては本人の意志での退役になってはいるが、実質上のクビである。
年金は満額支払われるという事で、これから先の生活に困る事はないものの、
住むところはなく、根無し草のような生活をすることになってしまった。
そんな状況の中で、直子は理沙から以前聞いていた、千葉にある理沙の店に行ってみる事にした。
東京に到着し、まずは横浜に向かい理沙との思い出の場所に向かった。
東京湾を一望できる、丘の上の公園は昔のままに残っていたが、
丘から見える風景は激変していた。
一番目立っている変化は、東京湾中央の巨大な人工島。
60年前の数倍の大きさに拡張されていた。
60年前の当時は、夜に飛び立つシャトルが、長い航跡を残して空に飛び立ってゆくのが壮観な眺めだったが、
今では、ヘビーリフターが数時間に一度、昼夜関係なく飛び立ってゆく。
情緒もなにもあったものではない。
川崎からバスに乗り、東京湾を横断する高速道路から人工島を眺めると、ヘビーリフターが隊列を組んで並んでいた。
宇宙へと向かうもの、宇宙から降下してきたもの、各々ほぼ同数である。
木更津のショッピングモール近くのバス停から、理沙の店までは歩いてほんの数分の距離である。
しかし、その数分の距離が、直子にとっては非常に長い距離のように感じられた。
事前に店に行くことを、2人の店員には前もって連絡はしているが、直子は2人の店員とは初対面である。
2人からは快い返事が返ってきたものの、その事が直子をさらに後ろめたい気持ちにさせていた。
気がつくと、直子は理沙の店の前に立っていた。


店では、理沙の作り上げた独特の世界のすべてを見せつけられ、直子は圧倒された。
小さな店ではあるが、理沙の世界観が全て凝縮されたようなもので、
あるじを失った今でも、客はいつも通りにやってきて、酒を交わしながら深夜までとりとめもない話をしていた。
れいなと美紀以外には、自分が理沙の妹であることを隠して、客とのとりとめもない会話に直子も加わった。
不思議な事に、理沙がいなくなっても、まるで彼女が元々存在していなかったかのように、
日々のどうでもいい事、仕事の憂さ晴らし、社会に対するうっぷん、家族の事などの会話が淡々と続いていた。
「いつも、こんな感じなの?」
直子はれいなに尋ねた。
「ええ、いつもこんな感じで」
酔った客から、名前を尋ねられることがあったが、直子は以前軍で使っていた別名を再び使う事にした。
つい先日に仕事の関係で木更津に引っ越してきたと、嘘の理由をでっちあげ、
その日のうちに、直子は店の客の中に溶け込むことに成功した。

*     *     *     *

れいなと美紀からは、2人が理沙が戻ってくるまでの期間限定で、理沙の家を借りる約束になっていたので、
直子が戻ると、2人からは早速店から近いところに家を探して出ていくとの申し出があった。
しかし直子は2人を引き留めた。
「あたしは、寝室だけあれば十分だから、3人で住もうよ」
生活に必要な荷物はコンテナ数個ほどしかなく、今まで任務に応じて移動するばかりの生活だったので、
寝起きするだけの場所があれば十分だと考えていた。
それどころか、直子にとっては地に足の着いた場所で生活できる事自体、非常に違和感があった。
日々、ミッションに追い回されることもなく、宇宙船の中の密閉空間でもなく、
24時間サイクルの、太陽とともに寝起きする生活は、直子にとって非常に新鮮だった。
千葉は冬でも凍てつくように寒い日はなく、夜明けとともに直子は近所を1時間ほど歩いた。
天気の良い日には、日中は庭にあるベンチに座り、特に何をするということもなく、周囲の風景を眺めながら過ごした。
夜になると店に行き、れいなと美紀の手伝い。そして客とのとりとめもない会話に付き合う。
一ヵ月ほどの日々はあっという間に過ぎ、千葉に春がやってきた。
直子はようやく身辺整理に取りかかることにした。
理沙の部屋のクローゼットを開けると、そこには理沙の様々な思い出の品があった。


身辺整理といっても、直子は無慈悲に機械的に要不要の判断をするつもりはなかった。
一目見ただけで、遺品のすべてが宝物のように価値があるということがわかった。
骨董品店で少しづつ集めたのだろう、古本であるとか、古いレコード盤であるとか、絵画もいくつかあった。
また、個人的に撮ったと思われる天体写真もあった。
店の天井に展示されているのは、理沙が自分で撮った土星の環の画像であることを、れいなから聞かされていた。
その他にも、綺麗にプリントアウトされた木星やタイタンの画像もあった。
個人用ライブラリの中を探せば、もっと大量の画像があるのかもしれない。
いったん、全容を把握したところで、直子はコレクションのひとつひとつを手に取り、
古本を読み漁りながら、古いレコード盤の音楽を聴いた。
かれこれ50年近く、読んでいたのは技術書ばかり、時には軍人仲間から勧められて文学書もいくつか読んだりもしたが、
当時、深く興味を持ったものはなく、単なる気分転換程度にしかならなかった。
今では仕事から解放され、心境の変化からだろうか、
文学作品の世界に、直子の心はすんなりと溶け込んでいった。
人の心というものは、簡単には読み取る事の出来ない、実に複雑で奥深いものであるという事。
愛想と裏切り、表面的には穏やかであっても、その心の奥底にはどす黒い感情があるという事。
日中は読書に没頭し、夜は店で生の人間模様の観察をした。
それは、軍での経験では得ることができなかった、未知の世界での体験となった。
気づいた時には、システムの中に潜入し自由に行動することができる自分の能力の事も、忘れかけていた。

*     *     *     *

今では士官たちの間では伝説になっている、理沙の軍士官学校の卒業式での訓示を突然に見たくなり、
直子は軍の公開ライブラリーの中を探し始めた。
まだ15年ほど前の出来事なのだが、直子にとっては数十年もの昔の事のように思えた。
ライブラリーの中を10分ほど探し回って、ようやくその卒業式の映像にたどりついた。
校長の訓示に引き続き、来賓6人の中での最後に理沙は訓示を述べていた。
理沙が演壇に登場すると、場内は異様な静けさに包まれた。
最初は他の来賓と同じような、型にはまった訓示だったが、
探査船[エンデヴァー]の最初の乗組員であることを彼女が述べると、一部の卒業生から驚きの声があがった。
前線で指揮を担当したわけでもなく、戦闘に参加したこともない姉の経歴は、卒業生には異質のものに思えたのかもしれない。
しかし、元大統領が[エンデヴァー]に船長として乗船し、国の威信をかけて共に戦った経験は、
どんな戦闘経験とも引けおとらないものだろう。
[今日ご卒業を迎える皆様に、私が話したい事はただ一つ。自分の信念をしっかりと保つことです]
カメラの方にちょうど目が合ったのか、姉が自分の方にしっかりと目を向けてきたような錯覚を起こした。
[私がなぜこのような基本的な事を、この場であえて皆さんに述べるのか、
それは皆さんの立場が危機的な状態にあるからです。軍隊に限った事ではありません。社会全体に及ぶことです]
自動化システムの、根本的な問題について、理沙は淡々と述べた。
世間の評論家が述べる事と、それほど大差ないありきたりの内容かもしれない。
しかし、姉は自らその危機的な状況を体験し、危うく命を失いかけたこともあったのだ。
システムから自らの存在そのものを消されかけて、どうにか生き残ったものの、
その後も、軍からも事業団からも自らが体験したことを信用される事なく、罪人扱いされ、
自身の記憶分析により、ようやくシステムの矛盾点が認められることになったのだが、
訓示で述べている内容の背景を知った今、直子にはその言葉の重みが痛いほどに良く分かった。
[自分の信念をしっかりと保ち、部下を導き、この困難で未知の未来へ向かって歩み続けてください。
時には訴えられて軍法会議にかけられることもあるでしょう。でも、そんな事は大したことではありません]
なぜならば、
「軍法会議にかけられたとしても、別に死ぬわけではありませんから」
直子は、映像の中の理沙と同時にその言葉を述べた。
理沙が訓示の最後の締めくくりの言葉を述べ、卒業式が終わると、講堂内に士官帽が舞った。

*     *     *     *

生前の理沙の功績をたどるために、軍のライブラリーの中を徘徊していたが、
興味半分、直子は事業団のライブラリーの中も探り始めた。
公開されているライブラリーの中には、木星資源開発の経過をたどる大量の画像、技術資料も含めた大量のデータがあり、
そのほとんどに理沙が関わっていた。
探査船[エンデヴァー]の航海記録を遡り、第一回の木星・土星探査計画のデータの中には、
理沙がとりまとめた木星の大気組成分析の資料や、大量の画像データがあった。
公開ライブラリーをさらに遡ると、事業団設立初期の頃のデータにたどり着くことができた。
木星資源開発の、初期の計画段階の資料には、精製プラントの初期のデザイン図があった。
初期計画段階のデータの中に、直子は[木星を太陽系の中心に]というプレゼンテーションを見つけた。
資料とともに、プレゼンテーション画像があったので、開いてみると理沙の姿があった。
[2047/3:木星を太陽系の中心に]というインデックスが画面表示され、理沙のプレゼンテーションが始まる。
軍士官学校の卒業式のときの姿と、それほど変わりはないが、
年月を重ねる事の差というものは、話している時の態度、言葉の重みに如実に現れるものである。
[地球からようやく月や火星に足を伸ばし、生活の拠点を確立しようとしている今、では、次のフロンティアは何か?]
考えられる課題を列挙し、整理してゆく中で理沙はエネルギー供給不安の問題について触れた。
さらには、北米大陸中心のアトランタ空港の例をあげたうえで、太陽系の中心としての木星の可能性について語った。
[私は同じような事を、太陽系の中でも実現できないものかと考えました。
太陽系の中でのハブとスポーク、木星を中心としたロジスティックの仕組みです]
その時から約50年、計画は具体的な行動となり、数々の困難を乗り越えて木星のロジスティックの仕組みは完成した。
しかし、完成と呼ぶにはまだ時期早々だろうか。
木星のロジスティックの仕組みは今でもまだ成長を続けている。
その最初の種の発芽のきっかけを姉が作ったようなものである。



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