「エンデヴァー」の退役
数えきれないほどの改良、付け加えられた付属品の数々。
建造当初から比べると別物のような姿となった「エンデヴァー」ではあるが、いつでも時代の最先端を走り続け、
太陽系内をくまなく調査し、最新型の推進システムを装着して航海のたびに最高速度を記録し続けていた。
航海士や船長を育成し、毎年開催される乗組員のOB会は年を重ねるごとに盛大になっていた。
亡くなった元大統領に代わり、名誉会長として就任した元大統領夫人は、年を重ねながらもOB会には毎年欠かさず出席し、
毎年元気な姿を会場で見せていた。
しかし、どんな人にも命の終わりがあるように、「エンデヴァー」にも退役の日がやってきた。
最後の航海は、最初の航海と同じく、地球から木星までの航海だった。
直子は定期連絡船で先に木星に到着し、作業プラットフォームAから「エンデヴァー」の到着を待った。
やがて目視でもはっきりと見えるほどに「エンデヴァー」は接近してきた。
100人ほどの乗組員OB、加えて地球からやってきた報道関係者、旅客セクションでたまたま居合わせた野次馬たち。
あわせて300人ほどの人だかりとなった。
* * * *
「今回は、私は現地には行けません。なのであなたにお願いが」
直子は、元大統領夫人から突然に呼び出された。
開発局のとある案件に参画中、ちょうど仕事の切れ目で時間ができたので、半日ほどかけて彼女の家に向かった。
彼女は自然環境のよい、小さな別荘で身の回りの世話をしてくれるメイド2人と暮らしていた。
「木星で、「エンデヴァー」の最期を見届けてくれませんか」
直子が元大統領夫人と会うのは、今日が初めてではなかった。
姉が亡くなって2年後、気持ちの整理がようやくついたところで、ちょうど彼女から「エンデヴァー」OB会への誘いを受けた。
姉に代わり名誉会員になるという特典もついていた。
「わかりました」
特に違和感もなく、直子はすんなりとその申し出を受け入れた。
ありがとう。。。と彼女は直子の手を取り言った。
見ると目にはうっすらと涙がにじんでいる。
「いいわね、この手の感触。あなたのお姉様と同じね」
「切り離し5分前」
理沙は機械的にチェックリストを読み上げながら、タイタン出発前の着陸船の3人に声をかける。
「そちらの準備は大丈夫?」
今回のパイロット当番であるメリッサは、ちょうど出発前のチェックを終えたところだった。
「問題なし。推進剤タンクのアラートを除いてはね」
理沙は少しだけ笑みを見せたが、再び機械的にチェックリストを読み上げる。
「ラムジェット機、切り離し3分前。準備よし」
理沙と同じくブリッジで待機している船長が、着陸船の3人のことを見守る。
非番の乗組員も、会議室でモニターを見ながら作業を見守っていた。
原子力ラムジェット機を固定しているアームが最大の長さまで伸びて、あとは切り離しを行うだけとなった。
「直接迎えに行きたいのはやまやまだが、そこは我慢してほしい」
画面の向こう側で、メリッサはじっとこちらを見つめていた。
「でも、必ず迎えに行く」
船長の力の込められた言い方に、理沙はいったんリストを読み上げるのを止めた。
「捕まえて、決して離さない」
理沙は船長の方に目を向けた。
船長も、メリッサも、画面越しに見つめ合っていた。ほんの5秒ほどだったが。
そんな2人に割入るように理沙は言った。
「1分前。内部動力に切り替えます」
着陸船は、ぎりぎりの危ういところで原子力ラムジェット機に抱え上げられるように保護された。
翼の上のハードポイントに固定され、ラムジェット機は最大推力で上昇を始める。
過酷な木星での使用を想定して設計されている原子力ラムジェット機にとって、着陸船は大した重量ではなかった。
タイタンの上層大気を抜けて再び周回軌道に戻った2機は、その後は何事もなかったように飛行を続ける。
「エンデヴァー」のブリッジで、3人の到着を待つ以外は特にすることもない理沙と船長。
しかし理沙は、さきほどの船長とメリッサの画面越しの会話にあるものを感じ取っていた。
「よかったですね」
事あるごとに、2人の間にある雰囲気を理沙は感じ取っていたが、今ではそれは確信に変わっていた。
「極限の状態での愛情ですか?」
それとなく理沙は言ったつもりだったが、船長からはスルーされてしまった。
しかし理沙は、船長の目つきから微妙に感じ取ることができた。
これはもう間違いないだろう。
着陸船が「エンデヴァー」に無事帰還し、3人がエアロックから出てきたときに、
船長とメリッサの劇的なシーンがあるものと皆は期待していたのだが、結局のところ感極まったシーンはなく、
普通に抱き合っただけ。
拍子抜けした他の乗組員はしばらく冷めた目で見ていたのだが、普段のルーチンワークに戻り、
地球へ帰還する前日、会議室でのささやかなパーティーの場で、船長からメリッサへのサプライズが待っていた。
「でも、あのとき嬉しかったのは、彼からのプロポーズの言葉だけではなかったの」
地球への帰還後、ほどなくして船長と結婚し、その後も理沙とは家族ぐるみ3人での交流は続いた。
子供が産まれ、船長が事業団を退職後の波乱万丈の生活はあったが、彼女の理沙への気持ちは変わることはなかった。
「嬉しかったのは、信じる事ができるようになったきっかけ。あなたのお姉さまのおかげね」
昔、記憶のかなたに今でもはっきりと残っている残酷な出来事。
かつて愛した人を理不尽な出来事で失い、自暴自棄になり、それでもなんとか立ち直って仕事に復帰し、
忙しさの中で忘れかけていたことが、理沙との出会いでフラッシュバックしてしまった。
人工皮膚の手触りが、忘れかけていた残酷な出来事を蘇らせ、強烈な敵対心を理沙に向けてしまう。
「でも、理沙だって残酷な経験から立ち直ったんだし、あなたもそうでしょ?」
再び直子の手に触れ、愛おしそうに手のひらで包み込んだ。
そのあとも、元大統領夫人は、タイタンからの帰還前日、理沙と2人だけで会話した時の事を話し続けた。
「それとなく感じていたのかも。もしかしたら救出ミッションが失敗して、助からないことをあたしが望んでいたんじゃないかと。
そんな弱気な気持ちをはねのけて、絶対に助けるから、諦めたりしてはダメだよと。
船長の強い気持ちよりも、理沙の強い気持ちの方が、私には本当に嬉しかった」
直子が元大統領夫人の家を出ようとしたとき、彼女は再度直子の手を握りしめた。
「お姉さまのことを思い出すわね。この手の感覚」
そして彼女は元大統領の遺品を、直子に託した。
* * * *
託された元大統領の遺品をブリッジに置いて、直子は一番最後に「エンデヴァー」から下船した。
エアロックが閉められ、自動操縦でゆっくりと船は作業プラットフォームを離れていった。
通路の窓越しに、OB達は船に向かって敬礼した。
直子は既に軍を退役していたが、彼女もまた敬礼し「エンデヴァー」を見守った。
「エンデヴァー」は木星の大気圏に突入する軌道をとり、徐々に降下していった。
最期の時を、直子とOB達は中央制御室で見守った。
モニター衛星の高解像度の映像では、「エンデヴァー」がまるですぐに手が届くようなところにあるように見えた。
木星の大気圏への突入が始まると、船体の前部から炎に包まれ、ほどなくして船全体が炎に包まれた。
「エンデヴァー」には大気圏へ突入する能力はなく、強力な重力に対抗できるほどの強靭さもない。
やがて船体の隅々から崩壊が始まり、大きな炎に包まれていくつかの大きな塊に砕け散った。
葬送ラッパが鳴り、OB達は再び敬礼した。
直子もまた、その砕け散ってゆく船体を亡くなった姉の姿と重ねながら眺めていた。
そして深々と敬礼をした。