この地球を再び:合衆国大統領の演説
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「我がアメリカ合衆国は、来年に建国350周年を迎えます。
建国して数百年、数千年の国々から比べれば、まだまだ若い国です。
しかしながら、建国以来、我が国は波乱万丈さまざまな困難な事態に立ち向かってきました。
建国時の独立戦争、同じ国民が敵味となり対立して戦った南北戦争。
20世紀には2度の世界大戦に巻き込まれました。
そしてそのあとに続く東西冷戦。
冷戦が終わっても、今度は国家の枠を飛び越えた、思想の違う集団と対決する形のない戦争。
宇宙空間、そして目には見えないが巨大なシステム空間の中での戦争もありました。
つい最近までは、太陽系内での国家戦争ともいえる状況に追い込まれたこともありました。
そのような中で、我が国は自由主義国家の先頭に立ち常に戦い、混乱する世界の防波堤の役割を続けてきました。
これから先も、私たちの向かうべき道は変わることはないでしょう」
「その果てしなく続く戦いの日々は、いったいいつになったら終わるのか。
今までの人類の歴史を振り返ってみると、人類は文化文明の水準は上がり続けてはいても、
どこかしこでいつでも戦争をしていました。飽くなき征服への欲求と、覇権のための闘いです。
人類は過去を振り返る事はあっても、その過去の歴史から何も学ばない生き物、愚かな生き物です。
科学技術の発展にともない、知見は広がり、新たな技術が開発されました。
しかし、その技術は真っ先に戦争のために使われました。
長い年月をかけて築き上げたものが、戦争により破壊されて荒れ果てた土地しか残らない。
20世紀、21世紀には、限定的な規模の核戦争も起こりました。
幸いな事に、全面核戦争になることはなく、人類はぎりぎりのところで思いとどまることができました。
さきほど、人類は愚かな生き物であると述べましたが、まんざらでもない部分もあります。
今私たちの前には、どうにもならない危機的状況が迫っています。
気候変動の問題が声高に叫ばれるようになってから、100年以上の時が流れていますが、
その100年間で、地球の自然環境は悪化しています。
問題は表面化するまでにある程度の時間はかかりますが、表面化した時には手遅れな状態でした。
人類が生活可能、そして農業生産が可能な土地は100年間で半分以下になりました」
「人類の生存のために、という目的のもとにさまざまな試みが行われてきました。
未開発の土地を開発して、人間が住める場所を広げて事業もありました。
宇宙空間への進出事業もありました。
理想を高く掲げて宇宙に進出する事。まずは月や火星に生活拠点を作るところから始まり、
今では木星、土星の衛星にも恒久的な生活拠点があり、定住者がいます。
木星の核融合資源開発はプロジェクト開始から60年が経過し、
その資源を足掛かりにして木星に定住した人たちは、自己完結型の生活を確立し、
地球に頼らない生活が可能になろうとしています。
地球の周囲軌道、L4とL5にはスペースコロニーも完成しました。
しかし、そのような事業が本当の解決策になったかと言えば、まだまだ解決への道は遠いと考えています。
地球全体の100億人の人口と比べれば、地球外の太陽系内で生活している人々はまだ数十万人程度です。
しかも、地球外への定住が果たして幸せだったのか。
誤解が無いように申し上げますが、私の今の発言は、私の目から見てどうなのかという観点で述べたものです。
地球外への移住は、解決のための選択肢のひとつであると考えています。
ですが今日私は、もうひとつの選択について述べたいと思います」
「先ほども述べましたが、地球の自然環境は悪化しています。
生活可能な土地は減少しています。日々の食事すら満足に摂取することができない人口は増加しています。
環境汚染により、住む場所を容易に移動できない、その土地にしか住むことができない人々の健康は悪化しています。
生まれた土地によって健康寿命が決定してしまう、生活格差が生じています。
その格差は人々を分断し、対立が生まれます。
対立は戦争に発展し、戦争の後には荒廃した土地が残るだけです。
私たちはこの状態を食い止めなければなりません。
私と同じような演説は、今まで何度となく、数えきれないほど行われてきました。
しかし、その言葉には実行は伴わなかったため、ただ時間を浪費しているだけだと批判が飛び交いました。
もうこのような状態は終わりにしましょう」
「かつて、20世紀の偉大な大統領の一人であるジョン・F・ケネディは、新しいフロンティアについて演説を行いました。
自由主義体制のトップである大統領として、高い理念のもとに全世界共に手を取り合う事について語りましたが、
今私たちはその理念の元に戻るべきだと考えます。
あの時代は、常に前を見て、先へ先へと進む時代でした。
原子力の力を平和利用し、宇宙へと進出し、科学の力を最大限に活用することが人類の幸福につながると考えられていました。
しかし、今振り返ってみると、どこかで何かが間違っていたと言わざるを得ません。
先へ先へと進んだ後には、環境が破壊され荒野となった土地だけが残り、
その土地には大量の廃棄物、残土やプラスチックのゴミ、恐ろしい核の廃棄物もあります。
利用可能な土地からは、土壌から搾り取れるだけの養分を奪い、有機化合物と薬品に汚染された土地になりました。
生存をかけた、醜い奪い合いもありました。
私は今日、別な新しいフロンティアについて語るべきだと思っています。
科学力を、この地球を破壊するためにではなく、再生するために使用することに方針転換します。
土壌から廃棄物を除去し、恐ろしい核の廃棄物を無害なものに変換し、土地を再生させます。
そのための技術はすでに確立しています。
秘密裏に開発されてきたこの技術を公開し、世界全体で技術情報を共有し、地球のために生かす時がきました。
この事業が完了するまでに、どれだけの時間がかかるのか。
おそらく私の生きているうちに実現することはないでしょう。
今日誕生した子供たちが生きている間にも、実現は難しいかもしれません。
今生きている世代が恩恵を得ないのに、やることに何の意味があるのか。
それは、これから先の未来のためです。
生まれた子供たちの次の世代、その次の世代、そのまた次の世代かもしれません。
しかし、そうであったとしても、私たちは歴史に名前を残すことができるかもしれません。
地球再生に尽力した、最初の世代という事で。
ではさっそく始めましょう。今日この日から」
* * * *
大統領の演説は終わり、会場からは割れるような拍手が沸き起こった。
演説の中継映像を、直子は冷めた目つきで眺めていた。
彼女が、ほとんどの時間を自宅で過ごす隠居生活は、もうすぐ5年近くになろうとしていた。
理沙が作り上げた小さな店は、商業地区の再開発のために5年前に取り壊しになった。
別な場所で店を再開することも検討はしたが、れいなも美紀も各々独り立ちしたいという思いもあったので、
直子は店を継ぐことをせずにそのまま閉店する事にした。
今は、早朝に家の近辺をランニングしたり、週に数回近所の商店街で買い物するする以外は、家で執筆活動に専念していた。
大統領の演説を聴いて、その日直子は自分なりに思うところを文章にまとめた。
演説は確かに人々の拍手喝さいをあびたが、では果たして実効性はあるのか?
莫大な数の機械を投入すればおそらく土壌再生は可能かもしれない。
となると、Metal-Seedシステムを地上に投入するのか?
元々住んでいる人々は、再生事業期間中に土地を一時的に追われることになるのだろうか?
強制的な方法を使おうとするならば、今以上に醜い争いが起きるのは目に見えている。
代替の土地を確保出来ない限り、反対運動が全世界規模で起きる事だろう。
では、スペースコロニーに一時的に退避させられるのか?
何十億人規模のスペースコロニーを、すぐに確保できるわけがない。
直子は、考えれば考えるほど疑問が山のように噴出し、結論に至る事はなかったが、
ただ一つ確実に言える事は、バラ色の未来と言うものはなく、今以上に分断した悲劇的な状況の未来しかないという事だった。