推進システムの推移

中央制御室の作戦テーブルの前、直子が今までに何度も、事あるごとに訓示を述べてきたその同じ場所で、
彼女はいつもの訓示と同じように話を切り出した。
中央制御室には30人ほどのスタッフがいる。
しかし、画面越しにこの場面を見ている何万人もの人々がいる。
6つの作業プラットフォームや、旅客プラットフォーム、生産プラント。
さらには木星を周回する軌道上に待機している15隻の巨大宇宙船。
自動建造システムで建造され、14隻は5年前に木星に到着し、プロトタイプと同様に、生活環境の準備が進められた。
出発準備は既に完了していた。
皆が出発式での直子の訓示に注目していた。


*     *     *     *

「この時を迎えて、私はどのような話をしようかと非常に迷いました。
前例のない事であり、これから先どのような出来事が待ち構えているのか全くわかりません。
十分に準備は進めてきました。
候補となる恒星を洗い出し、探査機を送り込み、探査の結果を待っている間の数十年間、輸送システムの準備を進めてきました。
目的地からの映像が届いたのはほんの数年前の事です。
私たちの太陽系と同じような恒星系であるとの事前の予想とは大きく異なり、過酷な世界でした。
恒星本体からの距離のちょっとした差で、私たちの地球と同じような環境とは異なる世界になるという事。
生命が存在するのかどうかは、今後の追加調査が必要となりますが、少なくとも普通に呼吸のできる世界ではありません」


「振り返ってみると、今日この日を迎えるまでに約200年かかりました。
最初の飛翔体は、地球全体が戦争の渦中にあった時代の、大量破壊兵器の副産物として誕生しました。
戦争の熱が冷めないうちに、ほんの10年ほどで月に人類を送り込むところまでいきました。
戦争は恐ろしいものではありましたが、人類が月に到着し、月から地球を撮影した映像は人類の意識を大きく変えました。
技術の力があれば、月や火星もすぐに手が届くだろうと。
しかし、そう簡単には事は進みませんでした。
戦争の時代が一旦終わり、目が覚めた時に、現実の厳しさを知りました。
たった数トンの物体を地球移動上に打ち上げるだけでも、国家や大企業の予算レベルのお金が必要になり、
それ以前にやるべきことは世の中に山ほどありました。
貧困や食料問題、環境破壊、宇宙への道は一旦遠くなりました。
次のブレークスルーまでに、さらに数十年がかかりました。
人類が月に行ったという事実は、いつのまにか都市伝説となり、歴史の向こう側の世界になってしまいました」


「しかし、諦めなかった人たちは、資金と技術の力で乗り越えました。
一部の金持ち向けビジネスだと陰口はたたかれましたが、大量打ち上げシステムは劇的にコストを下げることに成功し、
今でも大量輸送の基幹システムとなっているヘビーリフターの原型は、その頃に作り上げられました。
今から100年ほど前です。月や火星への物資の大量輸送が可能になり、生活拠点も作られました。
私と姉は、そんな時代に社会人になりました。
自分がこのような場所で訓示をするなどと、当時私は全く想像していませんでした」


「次のブレークスルーは、核融合推進システムと、自動増殖システムの実用化でした。
2大大国の勢力争いの中、私の姉は探査船「エンデヴァー」で木星と土星に向かい、次のステップのための事前調査を行いました。
木星を太陽系の中心拠点とする事。
木星大気中からヘリウム3を採取して、核融合推進システムで太陽系内の物流システムを構築する事。
ばかげている夢物語と非難された時期もありました。
乗り越えるためには強力な意志の力が必要でした。
幸いにも、自動増殖システムが実用化され、世の中の製造システムには革命が起きました。
巨大な投資は不要となり、巨大な製造プラントは設計図だけ書き上げれば自動増殖システムが現物にしてくれます。
太陽系内は、数か月で端から端まで行きつけるほどの距離になりました。
安全な宇宙船の中で、快適な船旅を楽しみながら、惑星間を移動できるようになりました」


「その延長線で考えた時に、私たちの前にはいったい何があるのか。
現在建造可能な核融合推進システムを使用しても、隣の一番近い恒星までは数百年かかります。
数百年?確かに人間にとっては生涯のうちに到着できる距離ではありません。
残念ながら最初の移住船の皆さんは、目的の恒星を自分の目で見る事はないと思います。
これは非常に過酷な現実であります。
出発式の場でこのような事を話すべきだろうかと悩みました。
技術的にまだ確立されているとはいえませんが、1つの可能性を信じて、人工冬眠システムを使用することになりました。
まだごくわずかな確率ですが、生きのびてプロキシマBを見る事ができるかもしれません。
プロキシマBの惑星に居住することができないとしても、15隻の宇宙船が生活拠点となって生き続ける事は可能でしょう」


*     *     *     *

「その先については、また別な可能性を考えています。
次のブレークスルーがあるのかもしれません。
核融合推進システムがこの先も最善であるとは考えていません。
もっと効率の良い推進システムが開発されるかもしれません。
既に実験室のレベルでは、反物質の製造と、安定的な保存の方法が確立しています。
巨大な核融合炉は不要になり、少量の反物質で莫大な推進エネルギーが生み出せるようになるかもしれません。
もっと違った最善の方法も見つかるかもしれません。
数百年かかるプロキシマBまでの時間が、もっと短縮される可能性があります。
後から追いかけた私たちの後輩が、目的地で私たちを待っているなどというのは、何とも皮肉な事でしょう。
もしかしたら、私たちが想像もできないような、もっと恐ろしい出来事があるのかもしれません」


「今でも謎となっている出来事、私たちの身近にあるシステムが、果たしてこれからも私たちと共存できるのかという事。
常に意識することなく、空気のように当たり前に使っているシステムが、私たちに謎の行動をして立ち向かってきた。
地球全体を取り込んで巨大化したシステムが、自分の意志に従って、あるべき理想に向かって動き出した。
その動きと衝突して、巨大な国家がある日突然に崩壊しました。今ではそのように解釈されています。
システムは人類と敵対する存在となるのか。
実験のための施設が作られて、シミュレーションも行われました。
結論が出ないまま、巨大宇宙船が作られて、中枢システムが移植されました。
システムの異常行動を監視するために、人間のオペレーターが張り付きました。非常におかしな事ですが」


「ある時、地球国家と木星の居住者との間で権利の主張がありました。
人間としての当然の権利、自分の生存権を主張し、ただ普通に生きるために木星は国家として独立すると。
地球国家とは戦争寸前の状況まで追い込まれました。
私と姉はその渦中の中で、ぎりぎりまで戦争回避の道を探りました。
地球国家が派遣した揚陸艦から核ミサイルが発射され、私たちはレーザー発振システムを揚陸艦にロックインしていました。
しかし、カウントゼロを迎えた時、何事も起きませんでした。
事象の分析と結論を出すまでに、非常に長い期間がかかりましたが、今ではシステムが関与していたことがわかっています。
別な可能性と先ほど申し上げましたが、これは私達自身を変えるかもしれない、大きな可能性のことを指しています。
人として生き延びて、プロキシマBを見る可能性は非常に低いと先ほど申し上げました。
ですが、人類としては生き続けることができるのかもしれないと」


「システムは、実は私たちに対して敵意を持ってはいないのです。
私たちの思い込み、いつか何時、私たちはシステムに支配されて、システムのあるべき姿に取り込まれてしまうのではないかと。
そのような先入観を捨てた時に、大きな可能性が見えてきます。
いつの日か、システムが、私たち自身を取り込んで、巨大なシステム空間の中で私たちは生き続けるのかもしれません。
プロキシマBまでの航海の間、人工冬眠の中で、私達は大きく作り替えられていることになるかもしれません。
再び目が覚めた時でも、あんがい気づくことはないでしょう。
お互いにシステムの作り上げた意識空間の中で生きているからです。
とはいえ、今はまだ仮定の話です。現実はもっと異なっていることでしょう」


「次のブレークスルーが、遠くない先に待っています。
数百年の航海も、宇宙レベルでの時間感覚ではちょっとしたひと眠り程度の出来事です。
ですが、たとえ姿かたちが生まれ変わってしまうという事があったとしても、今日のこの出発の日の事を忘れる事はありません。
太陽系を出発した日の事、地球にいる皆様の事を忘れる事はありません。
ごきげんよう。そしておやすみなさい。皆様の事を愛しています」



「サンプル版ストーリー」メニューへ