009:湯浅孝純

名前  湯浅 孝純(ゆあさ たかすみ)

生まれ~死去  2014年2月 ~ 2063年11月



プロフィール
 ●2014年2月
  ・日本国神奈川県にて生誕

<生活のためにバーテンダーになる>
 ●2018年11月
  ・両親が離婚し母親に引き取られる。妹も含めて3人でのアパート生活が始まる
 ●2020年4月
  ・小学校入学。外出制限の中で不便な生活を強いられる
 ●2023年7月
  ・昼と夜のアルバイト生活の母親を支えるために、家事のほとんどは自分でできるようになる
 ●2025年7月
  ・母親が働いている夜の店で厨房を手伝うようになる。店で出す料理を徐々に覚える
 ●2026年3月
  ・小学校を卒業する頃には店で出す料理のほとんどを作ることができるようになる
 ●2029年1月
  ・母親が過労で入院した1カ月間、接客もしながらバーテンダーのまねをするようになる

<アーティストになろうという夢>
 ●2030年3月
  ・友人2人といっしょにロックバンドを組み、学校内で不定期で演奏を始める
 ●2030年10月
  ・学校の文化祭の場で演奏中、ギターが壊れたため即興でエアギター演奏したら大好評だった
 ●2031年9月
  ・大学進学で友人2人が忙しくなる中、母親の店の手伝い余興でエアギター演奏に磨きをかける
 ●2032年2月
  ・学校の卒業記念演奏で真剣に練習した極限のギター曲を披露する
 ●2032年4月
  ・大学に進学するつもりはなく、昼は一般企業で事務職をし夜は母親の店を手伝う
 ●2034年1月
  ・会社を辞め取引先の金属加工工場で働く事になる
 ●2035年5月
  ・久しぶりで再会したバンドメンバー2人と新宿のバー「白河」に行く。店の雰囲気に魅了される
 ●2035年8月
  ・母親を説得し、週のうち3日の夜はバー「白河」で働くことになる
 ●2036年5月
  ・エアギター選手権の広告を見つけて、寝る時間を惜しんで店が閉店後に屋外で練習を始める
 ●2037年3月
  ・エアギター選手権の国内予選に出場するものの予選落ちする

<理沙との出会いと「Arisa-Misty」結成まで>
 ●2038年9月
  ・理沙がはじめて「白河」に行く。カウンター席でひとことふたこと会話した程度
 ●2039年1月
  ・屋外でエアギターの練習をしているところを理沙に目撃される
 ●2039年7月
  ・「Shangri-La」が店の売上金を持ち出しされて潰れたと、理沙から連絡が入る
 ●2039年11月
  ・「Castel」で働き始めたと、理沙から連絡が入る
  ・将来の夢について思い悩んでいる理沙に対して、心に火をつけるような言葉をかける
 ●2040年2月
  ・バンドメンバーを集め始める。個人的なコネで気になる人物に声をかける
 ●2040年7月
  ・バンドメンバーが揃ったので各々の自宅で離れた場所から合同レッスンを始める
 ●2040年10月
  ・理沙がヴォーカルで歌う事を想定したリハーサルを行う。バンド名を「Arisa-Misty」に決める
 ●2040年12月
  ・クリスマスの夜に理沙をライブハウスに誘い、自分たちがバックバンドになり理沙を歌わせる

<理沙の地下アイドル活動と、「Arisa-Misty」解散まで>
 ●2041年2月
  ・「Castel」を辞めて昼の仕事に専念していると、理沙から連絡が入る
 ●2041年4月
  ・週に一度理沙含めメンバー全員で集まってレッスンを始める
 ●2041年7月
  ・オーディションを受けるものの採用されず。ライブハイスでの活動を細々と続ける
 ●2042年7月
  ・理沙がバンドメンバーを脱退する
 ●2043年3月
  ・新たなヴォーカルを迎え入れるが、ギター担当とそりが合わず苦戦する
 ●2043年8月
  ・2度目のオーディションに落選したことをきっかけにして「Arisa-Misty」は解散する

<地に足がついた生活>
 ●2044年3月
  ・体調不良のため母親が店を閉店したことをきっかけに、母親の家の近所に引っ越しする
 ●2045年8月
  ・会社の取引先業者の女性とふとした事がきっかけに仲良くなる
 ●2046年1月
  ・母親が心臓の機能回復のために再生医療による治療を受ける
 ●2046年10月
  ・母親の容体が安定し普通の生活ができるようになり、自身も取引先業者の女性と仲を深める
 ●2047年3月
  ・取引先業者の女性と結婚する
 ●2048年9月
  ・第一子の長男誕生。マンションでの生活を始め母親も同居してもらう
 ●2050年4月
  ・友人の誘いで、東京郊外の耕作放棄地で大規模米作の事業に着手する
 ●2051年3月
  ・50ヘクタールの土地で大規模農業を始める
 ●2052年3月
  ・150ヘクタールに農地を拡大。従業員は8名に増員
 ●2054年8月
  ・巨大台風が襲来する。強風と豪雨により農作物が壊滅的な被害を被る
 ●2054年11月
  ・保険会社に損害賠償を請求。あわせて自治体からの災害見舞い金を受け取り再建に着手
 ●2056年1月
  ・再建不可能になった近隣の農家から土地売却を持ちかけられ決断をする
 ●2056年5月
  ・近隣の農家の土地を買い取る事を決める。共同経営の友人の助けも借り再建案を考える
 ●2057年3月
  ・半年かけた土地の整理が終わり、250ヘクタールの土地での大規模農業経営を始める
 ●2058年9月
  ・体調不良が気になり病院で診断を受けたところ、肝臓がんであることが判明する
 ●2059年6月
  ・再生医療手術による肝臓再生、および免疫療法でほぼ完治する
 ●2060年4月
  ・農場経営を食品会社に譲渡し、経営者としての仕事から離れる

<次の一手を見つけるための道半ばで>
 ●2061年7月
  ・母親が多臓器不全により亡くなる。子供2人含めた家族4人で引っ越しを考え始める
 ●2062年1月
  ・農家時代は多忙ゆえできなかった家族旅行をする。東南アジアと地中海10日間の旅
 ●2063年4月
  ・物価の安い地方での暮らしを計画する。山地に放置された古民家を手に入れる
 ●2063年8月
  ・古民家のリフォームに着手。週末に自宅から通いながら工事を続ける
 ●2063年11月
  ・季節外れの大雨で古民家の裏山が土砂崩れを起こす。土砂崩れで家と共に埋まってしまう
  ・土砂崩れの10日後に、土砂崩れで埋まった家の中から死体となって発見される