015:ダグラス・レーナルト

名前  ダグラス・レーナルト(Douglas・Lenard)

生まれ~死去  2005年6月 ~ 2092年6月



プロフィール
 ●2005年6月
  ・米国ワシントン州にて生誕

<スポーツ選手を目指し鍛錬の日々>
 ●2010年4月
  ・親といっしょに山歩きを始める
 ●2014年7月
  ・この時点ですでに少々の崖であれば一人で登れるようになる
 ●2015年9月
  ・ボルダリングの訓練中に落下して怪我をする。1か月間の松葉杖生活をする事になる
 ●2016年11月
  ・陸上競技に興味を持ち、陸上競技サークルに入り中距離走を始める
 ●2020年3月
  ・世界的なパンデミックのため外出できずに自宅でボディビル生活
 ●2024年7月
  ・自転車で1か月ほどの一人旅をする
 ●2026年10月
  ・大学に入っても勉強はほどほどで筋トレと週に100キロのランニングをする
 ●2027年6月
  ・地元のシステム開発会社に採用される

<エンジニアとアスリートの二刀流>
 ●2028年2月
  ・自動化システムのオペレーターとしてリーダーの指示の元で働く
 ●2030年4月
  ・単なるオペレーターの仕事に飽きたので別なシステム開発会社に転職する
 ●2031年4月
  ・ボストンマラソンに出場し、3時間を切るタイムで完走する
 ●2032年5月
  ・金融システムのリスク評価システム担当になる
 ●2035年7月
  ・リスク管理システムの経験を積んだところで、別なシステム会社に転職する
 ●2036年4月
  ・ボストンマラソン出場3回目。2時間40分台のタイムを出すが体力の限界を感じ始める
 ●2038年9月
  ・10歳年下の女性と結婚する。シアトル郊外に家を購入する
 ●2039年12月
  ・第一子誕生。週のうち2日オフィス/3日在宅の働き方に契約変更する
 ●2040年5月
  ・東海岸の金融系システムを運用する会社の担当になる
 ●2042年12月
  ・システム運用要員の募集に大嶋理沙が応募。自宅からリモート面談をする
 ●2043年1月
  ・大嶋理沙を採用する。システム監視担当にアサインする
 ●2043年4月
  ・ボストンマラソン出場4回目。4月らしからぬ異常な暑さの為体調不良となり途中棄権する

<堅実に仕事に打ち込む日々>
 ●2043年8月
  ・大嶋理沙が士官学校に入学することになり、グループメンバー皆で送別会を行う
 ●2044年12月
  ・火星の基地のインフラ設備を管理するためのシステム開発に参画する
 ●2046年4月
  ・自動化システムの仕様を作り上げたところで、構築メンバーに引継ぎを行いプロジェクトを離れる
 ●2049年1月
  ・火星のエリシウム基地が完成し、基地開所式をシアトルの事務所から見守る
 ●2049年8月
  ・エリシウム基地で事故が発生したという噂を聞くが、詳細な情報がなかなか伝わってこない
 ●2050年4月
  ・国の事故調査チーム関係者に個人的に接触し質問するが、なぜか口が堅い
 ●2052年2月
  ・あまり勝手な行動はするなと上司から注意される。再び金融系システムの仕事に戻る
 ●2054年7月
  ・気晴らしに再びマラソンをしたくなり、家の周りの軽いランニングから始める
 ●2056年5月
  ・宇宙船「エンデヴァー」の乗組員の一人が大嶋理沙であることを知り感慨深く出発を見守る
 ●2056年11月
  ・事あるごとに「エンデヴァー」のニュースをチェックする。理沙に応援メールを送ってみる
 ●2058年7月
  ・金融システムの認証障害が発生し対応に追われる。エリシウム基地での事故を再び思い出す
 ●2060年9月
  ・ようやくエリシウム基地の事故の真相が断片的に公表され、事業団のレポートに目を通す
 ●2062年1月
  ・中国の内乱と国家分裂にともない、中国の技術者をヘッドハントする役に駆り出される
 ●2065年8月
  ・STUに勤めている友人から、システム開発の仕事に誘われるが断る

<高みを目指す>
 ●2068年12月
  ・長年勤めていたシステム開発会社を退職する
 ●2070年2月
  ・しばらくの間夫婦で旅行をしたりしていたが、STUで働いている友人からの誘いに応じる
 ●2072年5月
  ・地球周回軌道作業プラットフォームの作業に立ち合う事になり、飛行に備え筋トレを始める
 ●2074年1月
  ・地球周回軌道作業プラットフォームに行く。作業立ち合いで3か月滞在する
 ●2075年1月
  ・宇宙空間での経験が忘れられず、妻も宇宙旅行に誘う
 ●2077年3月
  ・1年後の月旅行のチケットを手に入れる。飛行に備え夫婦で筋トレを始める
 ●2078年1月
  ・翌月に月へ出発予定にもかかわらず、自宅でDIY中に階段から落ちて胸部骨折する
 ●2078年7月
  ・骨折が完治したので、再び月旅行のチケットを手に入れる
 ●2079年11月
  ・ようやく月への旅行が実現する。コペルニクス居住基地に1週間滞在する
 ●2081年12月
  ・妻が心不全により亡くなる。夫婦で埋葬するための墓を作る
 ●2083年4月
  ・タイタン基地で事故が発生したという噂を聞く。詳細な情報を得るためにSTUの後輩に尋ねる
 ●2085年2月
  ・15年契約社員として勤めたSTUを退職する。気候の穏やかなフロリダに小さな家を購入する
 ●2088年4月
  ・新型感染症のため総合病院で治療を受ける。一時的に死線をさまようが回復する
 ●2090年12月
  ・体力の衰えを感じほとんどの時間を家の中で過ごす生活になる
 ●2092年6月
  ・再生治療による内臓の機能回復を勧められるが断る。火が消えるように穏やかに亡くなる