028:エドガー・ディングリー
名前 | エドガー・ディングリー(Edgar・Dingley) |
生まれ~死去 | 2016年1月 ~ 2099年12月 |
プロフィール |
●2016年1月 ・英国スコットランドにて生誕 <のらりくらりと過ごしていたのだが> ●2019年3月 ・2つ年上の兄と比べて親からのプレッシャーもなく自由に過ごす ●2020年4月 ・外出が制限される中でも、読書と玩具遊びで楽しい毎日 ●2022年8月 ・父親と兄との3人でゴルフ場に行った途中で見た巨大吊り橋に目を奪われる ●2024年1月 ・巨大橋を見て以降レゴ遊びにハマり長さ2mの橋の模型を作り上げる ●2026年4月 ・成績不振の兄に比べ、技術系科目の成績が伸びる一方の自分に母親が目をつける ●2027年5月 ・子供の教育方針の事で両親が口論になる。母親と祖母が味方につき有利な立場を獲得 <アウェーな立場からの這い上がり> ●2029年9月 ・技術系専門学校に入学。なぜかまわりの生徒の視線が冷たい ●2031年1月 ・1年近い死に物狂いのような苦労の結果、成績上位10位以内に入る ●2033年6月 ・学校卒業するとすぐに建築会社に入社する。海上浮体構造の設計にかかわる ●2035年2月 ・北海油田の作業プラットフォーム建設現場で荒れた海上で死にそうになる ●2037年4月 ・米国のベンチャー企業から発注された海上宇宙基地の設計にかかわる ●2039年2月 ・海上宇宙基地が完成し、基地といっしょにフロリダ半島までの船旅に出る ●2039年9月 ・半年間のフロリダ半島滞在中、ベンチャー企業の女性技術者と仲良くなる ●2040年1月 ・宇宙船の最初の打ち上げを見届けスコットランドに戻る。女性技術者とは再会を約束する ●2041年10月 ・遠距離恋愛の末に女性技術者と結婚する。スコットランドに新居を構える <「エンデヴァー」搭乗に至るまで> ●2041年11月 ・火星基地第二期建設工事に先立ち、会社がNASAから居住設備モジュールの製造を受注する ●2044年9月 ・NASAの技術者と一緒に仕事をしていく中で、木星/土星探査プロジェクト要員募集の事を知る ●2045年3月 ・製造した居住設備モジュールが火星に向け出発する。NASAへの出向となり作業を見守る ●2047年2月 ・今後のためにと宇宙飛行修士号プログラムに挑戦し、合格する ●2048年3月 ・木星/土星探査計画の宇宙船設計チームの会議の場で、フレドリック・ルーニーと初めて会う ●2050年8月 ・木星/土星探査船の乗組員候補の一人に選ばれる ・妻と2人の子供に、不測の事態に備えた心構えについて語ったが離婚するまでには至らない ●2053年2月 ・乗組員12名の一人に選ばれる。テキサスの訓練施設での合宿生活が始まる ●2055年6月 ・乗組員のうち一人が急遽交代となり、船長から交代要員についての説明を受ける ●2056年2月 ・地球/月L1作業プラットフォームで大嶋理沙と初めて会う。違和感はなくすぐに打ち解ける <「エンデヴァー」第一回ミッション> ●2056年8月 ・木星へと向かう途中、大嶋理沙と互いの身の上話をする ●2056年10月 ・木星での作業を中断し土星へ向かう判断の会議の場で、理沙に対して最初に賛成する ●2057年3月 ・タイタンからの帰還が絶望的であることを知りつつも、メリッサのことを暖かく励ます ●2057年9月 ・土星を出発する前日、地球で待つ妻と子供に感謝のメールを送る <地上スタッフ経験したのち精製プラント建設を指揮する> ●2059年7月 ・「エンデヴァー」2回目のミッションを地上支援する。木星大気サンプル分析データを受け取る ●2059年12月 ・木星大気分析データをもとに、精製プラントのガス分離装置設計の精緻化を進める ●2060年7月 ・精製プラントBのガス分離/精製装置の製造を会社が受注する ●2063年8月 ・ガス分離/精製装置が完成し、テキサスに向けて輸送が始まる ●2064年2月 ・政府からのゴーサインが出ない為、精製プラントモジュールの組み立てが中断する ●2065年7月 ・しばらくテキサスで待機していたが、久しぶりでスコットランドに戻り1か月間家族と過ごす ●2066年11月 ・精製プラントモジュールの組み立てが再開し、宇宙への輸送の準備も進められる ●2068年5月 ・精製プラントBのモジュール打ち上げが始まる ●2069年6月 ・精製プラントBが木星へ向けて出発する ●2076年12月 ・核融合燃料のパイロット生産開始 ●2078年1月 ・現場指揮を後輩にゆだねてスコットランドの本社事務所に戻る <理不尽な訴えとの闘争> ●2079年1月 ・長年の功績を認められて会社役員になる。技術部門の相談役も兼務する ●2080年6月 ・自然保護団体から、木星資源開発によるテキサスの自然破壊について訴えられる ●2082年3月 ・木星資源開発の理念と会社としての地球環境保護活動をアピールするものの、受け入れられない ●2084年11月 ・自然保護団体との和解の道を探る。裁判の間に株価は下がり宇宙開発事業は規模縮小する ●2085年12月 ・自然保護団体との和解が成立し裁判での闘争が終わる ●2087年3月 ・新型感染症による影響でビジネスが大幅に停滞する ●2087年10月 ・新型感染症により社員にも犠牲者が発生し、責任をとり自ら役員の立場を降りる ●2088年6月 ・会社を退職する。会社は宇宙開発事業から撤退し海洋開発と環境ビジネスに特化する ●2090年3月 ・実は自然保護団体からの訴訟は、作り上げられた嘘ではないかとの話を耳にする ●2091年5月 ・試行錯誤の末に自然保護団体の役員と接触する。訴訟の真の目的について問い詰める ●2092年7月 ・会社の社長が突然死するが、死因については不明でうやむやにされる ●2094年1月 ・真相については不明のまま警察の捜査も突然に終わる ●2095年7月 ・大嶋理沙が亡くなった事を知り、ひとつの時代が終わったのではないかと実感する ●2097年10月 ・しばらくの間何もせずに穏やかに過ごしていたが徐々に体力が落ちてゆく ●2099年2月 ・自宅で転んで足を骨折したが、再生治療で元のように歩けるようになる ●2099年12月 ・2100年の年明けを迎えるのだと意気込んでいたがクリスマスの夜に亡くなる |