3.作業を見守るマリアン・ロザリー中佐

2085年の終わりから、2086年へ。
しかし、太陽をはさんで地球の反対側、太陽/地球L3宙域に建設された作業プラットフォームには、季節の感覚など存在しなかった。

人工重力のかかった静かな居住区画。
規則的に鳴る環境制御装置の低い駆動音。
壁面ディスプレイに並ぶ、無機質なシステムログ。
そして、窓の外に広がる、恒星の光すらまばらな漆黒の宇宙。

クリスマスも、正月もない。
ただ、淡々とした日々だけが続いていた。

マリアン・ロザリー中佐は、その日もいつも通りに業務をこなしていた。

中央制御室のコンソールに座り、「Metal-Seed」ノード群の稼働状況を確認する。
各ノードのステータス、増殖プロセスの進捗、資源採掘量、エネルギー消費量。
異常値がないことを確認すると、地球側の上司へ簡潔なメールを返す。

12時間勤務、12時間非番。
その単調なサイクルが、数か月にわたって続いていた。

「Metal-Seed-System」は、予定通り15日ごとの増殖サイクルを繰り返していた。
最初は、たった1基のノードだった。

それが、現在は2048ノード。

小惑星内部へと無数のノードが潜り込み、金属資源を分解し、自らの部品を生成し、さらに増殖してゆく。
静かに、確実に、小惑星そのものを内部から作り替えながら。

現在は13回目の増殖プロセスの最中。
最終目標である100万ノードには、まだ遠い。
全体から見れば、1パーセントにも満たない進捗でしかない。

しかし、倍々で増殖するシステムである以上、本当の増殖速度はこれからだった。
残り8回のサイクルで、ノード数は爆発的に増加する。

中央制御室の壁面ディスプレイには、小惑星内部を移動するノード群の模式図が表示されていた。
まるで血管の中を流れる細胞のようにも見える。

彼らは、まだ静かに活動している。
来るべき時に備えて。

だが、その力を何に使うのかについては、いまだ明確には決まっていなかった。

マリアンの目には、政府官僚たちが決断を先延ばしにしているように見えていた。
「Metal-Seed-System」の持つ可能性については理解している。
しかし、その力が大きすぎるがゆえに、どう扱うべきか判断できない。

そして、FSDDもまた、かつての組織とは違っていた。

2080年代に入る頃には、組織を支えてきた技術者たちの多くが流出していた。
巨大化した組織は空洞化し、残されたのは管理部門と政治的調整機能ばかり。
実際の技術開発は、STUと軍の技術セクションが担っている。

表向きはFSDD主導。
しかし、実際には別の組織が裏側で動かしている。

張子の虎。
マリアンは時々、そんな言葉を思い浮かべていた。

とはいえ、結局のところ必要なのは、やる気と決断だけなのかもしれない。
彼女は、そうも思っていた。

単調な毎日。
その中で唯一の刺激と呼べるものは、時折送られてくる上司からのメッセージだった。

国防総省勤務、ディアナ・エクヴァル大佐。

形式上は現場の士気高揚を兼ねた訓示であり、最初の数分は真面目な内容で始まる。

現場の士気を鼓舞する言葉。
最近の世界情勢。
予算折衝の進捗。
議会の動向。

しかし、そのあとは決まって雑談になった。
そして、2回に1回は必ずと言っていいほど、大嶋理沙の話題になる。

士官学校時代の同僚。
FSDD時代の英雄。
伝説的な存在。

ディアナにとって、理沙は今でも特別な人物なのだろう。

その話が始まるたびに、マリアンは内心で、またか……と思ってしまう。
とはいえ、わざわざ遮る理由もなく、彼女は静かに聞き流していた。

その日の業務も終わりを迎える。
この現場での相棒である少佐へ引き継ぎを行い、マリアンは自室へ戻った。

個室の壁面ディスプレイには、中央制御室と同じシステム画面が表示されている。
しかし、非番中にそれを見ることはほとんどなかった。

音楽を流し、読書をしながら時間を過ごす。
静かな夜だった。

だが、常に頭の片隅で気にしていることがあった。

「Metal-Seed-System」は、まだ実用化されて間もない技術である。

増殖プロセスが正常に行われる限り、問題はない。
しかし、完全なコピーは理論上保証されていなかった。

劣化コピーエラー。

劣化したノードは、性能も品質も保証されない。
単なる不良品ならまだいい。

問題は、異常化した場合だった。

もし、増殖制御を失ったノードが自己増殖を続けたら。
ある意味、それはガン細胞に近い。

もちろん、STUの技術者たちは対策を用意していた。
異常ノードの検出。
隔離。
強制停止。
焼却プロセス。

シミュレーション上では、すべて問題なく機能している。

だが、それはあくまで仮想空間での話だった。
実際のフィールド環境で試されたことは、まだ一度もない。

そして、本当にどうにもならなくなった場合のために、最後の非常手段も存在していた。
もっとも、マリアンは、それを使う日が来ないことを祈っていた。

1日の最後。
彼女は上司宛ての報告書を作成する。
と言っても、前日のファイルをコピーし、日付だけを書き換えるだけだった。

本文は、1行。

<本日も予定通りの進捗。課題、問題点等特になし>

送信。
それで終わりだった。

マリアンはベッドに入る。
枕元の壁には、小さなフォトプレートが留められていた。

港の夜景を背景に、2人の女性が並んで写っている。
片方は、マリアン。そして、もう1人。

彼女はしばらくその写真を見つめていた。
やがて部屋の照明を落とし、毛布にくるまり、静かに目を閉じる。

2時間後。

突然、アラート音が鳴った。
就寝中に呼び出されることなど、今まで一度もなかった。
画面越しに聞こえてきた少佐の声は、わずかに緊張していた。

「ちょっと、これを見ていただけますか」

マリアンは半身を起こし、壁面ディスプレイを表示させる。

「Metal-Seed」各ノードのステータス一覧。

少佐が、正常ステータス以外のノードだけを抽出する。

数件。

まだワーニングレベル。致命的ではない。
しかし。

今までは、毎日ゼロ件だった。

マリアンは数秒、無言のまま画面を見つめていた。

「すぐにそちらに行きます」

短くそう答えると、彼女はベッドから立ち上がった。
静かな居住区画の通路を、中央制御室へ向かって歩き始める。

<終わり>