001_08_理沙と湯浅孝純との出会い、ゆるやかな接近

仕事帰りのある夜、
同僚のキャストに誘われて、理沙は新宿の小さなショットバーに立ち寄った。

店の名は**「白河」**。

十人も入れば満席になるほどの小さな店だった。

カウンターの奥では、古いジャズのレコードが静かに回っている。
店内の照明は柔らかく、グラスの縁がかすかに光っていた。

騒がしさとは無縁の場所だった。

カウンターの中にはバーテンダーが二人いる。

一人は五十代くらいの店長。
もう一人は二十代半ばほどの若い店員だった。
同僚のキャストは店長とすぐに打ち解け、昔からの常連のように会話を始めていた。

理沙はカウンターの端に座り、しばらく黙って酒を飲んでいた。
店の空気は静かだった。

グラスの触れ合う音。
レコードのかすかなノイズ。
ゆっくり流れるジャズ。

夜の店の喧騒とはまるで違う。

理沙はその静けさを気に入った。

若い店員は、理沙に必要以上に話しかけてこなかった。
注文を受けるときだけ近づき、それ以外の時間は少し離れた場所で静かにグラスを磨いている。

理沙はその距離感が心地よかった。

店にいた一時間ほどのあいだ、
二人が交わした言葉はほんのわずかだった。

軽い自己紹介と、天気の話のような世間話。

それだけだった。


それから理沙は、ときどき「白河」に立ち寄るようになった。

月に二回ほど。

同僚キャストと来ることもあれば、一人で来ることもあった。
仕事帰りの喧騒を離れて、ただ静かに酒を飲める場所だった。

店員との会話も、少しずつ増えていった。

けれど、それはいつも短いものだった。

互いの生活について深く話すことはなかった。

それでも、不思議と居心地は悪くなかった。


年が明けた一月のある夜。

仕事を終えた理沙は、電車を途中で降りた。
そのまま歩いて、横浜の山下公園まで出る。
深夜の時間。

それでも港の近くには人の気配がある。

二十四時間営業のラウンジからは、遠くに客の話し声が聞こえる。
カップルがゆっくり歩いている。

海の向こうには、東京湾スペースポートの工事現場の灯りが見えていた。
静かな夜だった。

理沙は海沿いを歩く。

すると、どこからか音楽が聞こえてきた。

ロックだった。

ジャズとは正反対の、派手なギターの音。

理沙は足を止める。

音のする方を見ると、少し先に人だかりができていた。
数人の見物客が円を作っている。
その中心で、一人の男が演奏していた。

派手な動きだった。

身体を大きく振り、ギターを弾いているような動き。

けれど、よく見るとギターは持っていない。

流れている音楽に合わせて、ただ身体だけで演奏している。
エアギターだった。

それでも動きは本格的だった。

観客の視線を意識しているのか、身体の動きが大きい。

まるで本当にギターを持っているように見える。

理沙は少し離れた場所から、その様子を見ていた。

演奏が終わる。
観客からばらばらの拍手が起きる。
理沙も手を叩いた。

男が顔を上げる。

理沙は、その顔を見て少し驚いた。

どこかで見た顔だった。

男も理沙を見て、少し目を細める。
視線が合う。
理沙は気づいた。

「白河」の店員だった。

あの、静かにグラスを磨いていた男。
店ではほとんど言葉を発しない、あの物静かな店員。
けれど、今目の前にいる男はまるで別人のようだった。

身体全体で音楽を表現している。

その姿は、店で見ていた彼とはまるで違っていた。

理沙は少し笑いながら、男の方へ歩いていった。



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