営業終了後のミーティングで、オーナーが前に立った。
言葉は短かった。
「二号店の話、進んでます」
それだけで、空気が変わる。
具体的な場所は出なかった。ただ、東京の中心部とだけ言う。
十分だった。
誰もが、同じ方向を思い浮かべる。
規模の話はない。時期も曖昧だった。
一年後か、二年後か。
それでも、現実として置かれる。
店の中に、新しい軸ができる。
ざわめきは、長く続かなかった。すぐに収まる。
ママが前に出る。
視線が、全体をなぞる。
「募集は、近いうちに始める」
声は落ち着いている。
「スタッフも、キャストも」
一度、間を置く。
「ママは、ここから選ぶ」
それだけだった。
再び、空気が動く。
小さな声が重なる。視線が、交差する。
ママの目が、一瞬だけ止まる。
彩名の位置だった。
ほんの一拍。彩名は、その視線を受ける。
外さない。
それで終わる。
何も言わない。
ミーティングは、そこで区切られた。
人が動き出す。
いつもの流れに戻る。
その夜、帰り道で彩名が言った。
「少し寄ろう」
行き先は聞かない。
「白河」だった。
店に入ると、空いていた。
カウンターに並ぶ。
彩名は、最初からペースが速い。
グラスが空く。次が出る。
話が続く。
店のことではない。
先の話だった。
場所の話。形の話。やり方の話。
具体的ではない。
だが、止まらない。
店長に向かって、言葉を重ねる。
笑いが混じる。
声が少しだけ大きい。いつもより、明るい。
理沙は、少し離れた位置にいた。
グラスに触れながら、見ている。
隣に、湯浅がいる。同じ方向を見ている。
会話には入らない。
必要もなかった。
時間が過ぎる。
客が減る。
音が落ちる。
それでも、彩名は止まらない。
やがて、外に出る。
タクシーを止める。
ドアを開ける。彩名が乗る。
「また明日」
笑って言う。
理沙はうなずく。
ドアが閉まる。車が動く。尾灯が遠ざかる。
理沙は、その場に少しだけ立っていた。
そのあと、歩き出す。
そのまま帰るつもりだった。
途中で足を止める。
体に熱が残っている。頭も、少し重い。
駅を過ぎて、そのまま歩く。
方向を変える。海の方へ。
山下公園は、まだ暗かった。
人は少ない。
風が通る。
理沙は、小さな丘に上がる。
ベンチに座る。息を吐く。
冷たい空気が、体に入る。
少しだけ楽になる。
目を閉じない。遠くを見る。
さっきの光景が、残っている。
彩名の顔。
笑っていた。迷いは見えない。
先を見ている顔だった。
そのまま、思い出す。
言葉も、動きも。すべてが軽い。
重さが、ない。
それが、少しだけ引っかかる。
音が鳴る。
低く、長い。
港の方からだった。
理沙は顔を上げる。遠くの海上に、光が見える。
ゆっくりと、上がっていく。
一直線に。
夜の中を、抜ける。
今年から動き始めた設備だった。
説明を聞いたことがある。名前も知っている。
理沙は、それを見ていた。
目で追う。消えるまで。
空が、少しだけ薄くなる。時間が進む。
理沙は立ち上がる。
服の裾を払う。そのまま、歩き出す。
翌週。
営業が終わる。
ミーティングも終わる。
更衣室に入る。人は、いない。
彩名が先にいた。
着替えをしている。
理沙は、少しだけ待つ。
音が止まる。
そのタイミングで、口を開く。
「あたし」
声は、変わらない。
「今月末で、やめようと思ってる」
それだけだった。
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