003_13_人にしかできない仕事(1)

「無理だよ、リサ」

 フィリップが困ったような顔をしていた。

 いつものベースを抱えている。

 場所はどこなのか、よく分からなかった。

 ライブハウスのようにも見えるし、シアトルのシステムセンターのようにも見える。

 壁にはステージ照明が並んでいる。

 そのすぐ隣には、大型ディスプレイがある。

「何が無理なの?」

「これ」

 フィリップが紙を持ち上げた。

「言ってることが抽象的すぎる」

「雰囲気で分かるでしょ」

「分からないよ」

「夜の街を走ってる感じで」

「それだけじゃ曲にならない」

「じゃあ、そこを考えて」

「だから、それが――」

「来週まで」

 理沙は言った。

 フィリップが黙る。

「来週?」

「うん」

「無理だって」

「問答無用」

「リサ」

「来週までに作って」

 フィリップがうつむいた。

 空気が重くなる。

 理沙は腕を組んだ。

 少し言いすぎただろうか。

 そう思ったところで、フィリップがゆっくり顔を上げた。

 顔が違っていた。

 ダグラスだった。

「根拠は?」

「え?」

「なぜ来週までなんだ」

 ダグラスが理沙を見る。

「いや、それは……」

「なぜその雰囲気でなければならない」

「曲だから」

「説明になっていない」

 ダグラスが一歩近づいた。

「もっと論理的に説明してくれ」

「ちょっと待って」

「要求するなら、相手が判断できる情報を与えるべきだ」

「だから、これは曲の――」

「目的は?」

「え?」

「目的だ」

 ダグラスの顔がさらに近づいた。

「リサ」

「……」

「説明してくれ」

     *

 理沙は目を開けた。

 薄暗い天井が見えた。

「……何よ」

 しばらく動けなかった。

 夢だった。

 枕元の時計を見る。

 午前6時27分。

 目覚ましが鳴る3分前だった。

「最悪……」

 理沙は布団へ顔を埋めた。

 3分後。

 予定どおり目覚ましが鳴った。

 止める。

 起き上がる。

 頭の中には、まだフィリップとダグラスの顔が残っていた。

 洗面所で顔を洗う。

 鏡を見る。

「……私、あんな言い方してたっけ」

 誰に聞くでもなく呟いた。

 もちろん、答える人はいなかった。

     *

 その朝のシアトルは曇っていた。

 道路は夜の雨で濡れている。

 理沙はいつもより少し重い気分のまま、システムセンターへ向かった。

 職場へ着く。

 端末を起動する。

 メールと作業状況を確認する。

 その中に、ダグラスからの短いメッセージがあった。

 <出勤したら、こちらへ来てくれ>

「……朝から?」

 理沙は思わず画面を見返した。

 夢の続きを見ているような気がした。

 それでも席を立ち、ダグラスのところへ向かった。

     *

 ダグラスの席の前には、見慣れない男女が立っていた。

「来たか」

 ダグラスが理沙を見る。

「おはようございます」

「おはよう」

 ダグラスは二人へ視線を向けた。

「アトランタ近郊の新センター構築計画が動き始めた」

「アトランタ?」

「そうだ」

 理沙は二人を見る。

「この二人が、現地側の作業管理を担当する」

 二人が軽く会釈した。

 理沙も返す。

「しばらくこちらで準備をする。その間、君から今のシステム管理と構築作業について説明してほしい」

「私が?」

 思わず聞き返した。

「何か問題が?」

「いえ」

 理沙は少しだけ間を置いた。

「ただ、私でいいのかなと思って」

「君が今担当している範囲を説明すればいい」

「分かりました」

「特に、新センター立ち上げ時の管理項目と、要求変更への対応方法だ」

「はい」

 ダグラスは二人に向き直った。

「分からないことはリサに確認してくれ」

 それだけ言うと、自分の画面へ戻った。

 理沙は二人を見る。

 二人も理沙を見る。

 少し妙な間ができた。

「……じゃあ」

 理沙が言った。

「まず、今動いてるシステムから見ますか」

     *

 最初は、簡単な説明だけにするつもりだった。

 現在のシステム構成。

 管理対象。

 監視項目。

 銀行側から要求が来たときの流れ。

 理沙は大型画面へ構成図を表示した。

「ここが基盤側です」

 指で示す。

「この上に業務システムが乗ります。ただ、私たちは上の業務そのものより、止めないための環境を見ることが多いです」

 二人が画面を見る。

「例えば?」

 一人が聞いた。

「通信経路。認証。サーバーの負荷。障害が起きたときの切り戻し。それから――」

 理沙は次の画面を開いた。

「要件変更ですね」

「変更?」

「多いです」

 理沙は少し笑った。

「かなり」

 二人も笑った。

 理沙は先月対応したセキュリティ要件を例にして説明した。

 銀行側から要求が来る。

 内容を理解する。

 影響範囲を確認する。

 対応方針を考える。

 実装する。

 テストする。

 結果を返す。

 話しているうちに、理沙自身が少し不思議な感覚を覚えた。

 以前は、一つひとつ考えなければ理解できなかった。

 ダグラスから質問されるたびに、資料へ戻っていた。

 今は、その流れを何も見ずに説明している。

 質問されれば答えられる。

 少なくとも、自分が経験した範囲なら。

「なるほど」

 一人が頷いた。

「じゃあ、具体的な作業手順は決まってるんですね」

「いや」

 理沙は答えた。

「そこが一番面倒です」

「面倒?」

「決まってないことの方が多いです」

 二人が顔を見合わせた。

 理沙は少し前の自分を思い出した。

 ――具体的な作業手順は、どこにありますか?

 あのとき、ダグラスは言った。

 ――それを考えるのが君の仕事だ。

 理沙は口を開きかけた。

 同じ言葉が出そうになった。

 だが、やめた。

「まず」

 理沙は構成図を指した。

「何を守らなきゃいけないのか、そこから整理するといいと思います」

「守る?」

「サービスなのか、データなのか、処理時間なのか。優先するものが決まれば、やることも少し絞れます」

「それでも分からなかったら?」

「そのときは聞いてください」

 少し考える。

「ただし、分からないって言う前に、自分なりの案を一つ持ってきてもらえると助かります」

「案を?」

「正解じゃなくてもいいです」

 理沙は言った。

「どこまで考えたのか分かれば、こっちも説明しやすいから」

 二人は頷いた。

「分かりました」

「じゃあ、午後から実際にやってみましょう」

     *

 午後。

 理沙はアトランタ側の新センターについて、簡単な仕様を確認した。

 まだ計画初期だった。

 決まっていることより、決まっていないことの方が多い。

「じゃあ、最初にこれ」

 理沙は二人へ資料を送った。

「監視対象を整理してみてください」

「全部ですか?」

「まず大きく分けて」

「分類方法は?」

 一人が聞いた。

 理沙は答えようとした。

 だが、少し止まった。

「何を基準に分けると、あとで管理しやすいと思います?」

 二人が資料を見る。

「機器の種類?」

「それでもいいし」

「重要度?」

「それもある」

「拠点?」

「場合によっては」

 理沙は頷いた。

「まず自分たちで一回作ってみてください」

「分かりました」

 二人が席へ戻る。

 理沙も自分の仕事へ戻った。

 しばらくして、片方がまたやってきた。

「リサ、ここなんですけど」

 資料を見せる。

 理沙は内容を確認した。

 答えはすぐに分かった。

 ここはこうすればいい。

 そう言えば、一分で終わる。

 しかし理沙は少し考えた。

「この設定を変えたら、どこに影響します?」

「ここですか?」

「それだけ?」

「……あ」

 相手が画面をスクロールした。

「こっちにも影響します」

「そうですね」

「じゃあ、先にこっちを確認します」

「その方がいいと思います」

 相手は自分の席へ戻った。

 理沙はその背中を見た。

 何となく、朝の夢を思い出した。

「……似てきたな」

 小さく呟く。

 ただ。

 全部同じになるつもりはなかった。

     *

 それから、理沙の仕事には少しずつ変化が出てきた。

 もちろん、ダグラスからの課題がなくなったわけではない。

「リサ。昨日の案、もう一度見直してくれ」

「どこが問題です?」

「この条件だと、障害時の復旧が遅い」

「分かりました」

「今日中に」

「はい」

 相変わらずだった。

 しかし以前ほど、言われた瞬間に頭が真っ白になることはなくなった。

 何を確認すればいいのか。

 誰に聞けばいいのか。

 どこまで自分で判断してよいのか。

 少しずつ分かるようになっていた。

 同じチームで働くもう一人の担当者も、似たような状態だった。

 以前は互いに自分の仕事だけで手いっぱいだった。

 今では、席を立ったついでに声をかける。

「それ、銀行側に確認した?」

「まだ」

「先に確認した方がいいかも」

「やっぱり?」

「後でひっくり返されると面倒だから」

「確かに」

 昼食へ行く途中にも話す。

 コーヒーを飲みながら話す。

 アトランタの担当者を交え、画面を囲んで話す。

 以前ならダグラスに持っていっていたような問題も、まず自分たちで整理するようになった。

「これって、技術の問題じゃないよね」

 同僚が言った。

「たぶん」

 理沙が答える。

「銀行側と現地側で前提が違う」

「じゃあ先にそこ合わせるか」

「うん。そのあと設計」

 理沙は端末を閉じた。

 設定画面を開く前に、話しておかなければならないことが増えていた。

     *

 ある日の夕方。

 理沙は自分の作業記録を見ていた。

 今日一日で何をしたのか確認する。

 午前。

 新任者への説明。

 午後。

 アトランタ側との打ち合わせ。

 銀行側への確認。

 ダグラスへの報告。

 担当者同士の認識合わせ。

 次週の課題整理。

 理沙は画面を見た。

「……あれ?」

 今日は、ほとんどシステムの設定を触っていなかった。

 端末の前にはずっといた。

 一日中、仕事をしていた。

 それなのに、自分で設定を変更したのは、わずかな時間だけだった。

 大半は話していた。

 考えていた。

 説明していた。

 誰かの話を聞いていた。

 理沙は少しだけ椅子にもたれた。

 自動化のためのシステムを作っている。

 その仕事を進めるために、人間同士が一日中話し合っている。

 何となく、おかしかった。

     *

 アトランタの新センターについて、計画資料を確認する機会が増えた。

 理沙はその日、工程表を眺めていた。

 構築。

 機材搬入。

 接続。

 試験。

 移行。

 運用開始。

 見覚えのある工程が並んでいる。

 ロサンゼルス交通管制センターでも、似たようなことをやった。

 違うのは、規模と数だった。

 理沙は計画一覧を開いた。

 アトランタ。

 その次。

 さらに別の地域。

 また別のセンター。

「……こんなに?」

 画面をスクロールした。

 一つではなかった。

 新しい自動化システムを広げるため、今後も複数のセンターを順番に更新、あるいは新設する計画になっていた。

 システムそのものは、今までより少ない人数で動かせる。

 監視も自動化される。

 障害検知も自動化される。

 判断の一部まで、システムが行う。

 その一方で。

 センターを作るためには、人が必要だった。

 機材を運ぶ人。

 設置する人。

 配線する人。

 現地で確認する人。

 トラブルが起きれば駆けつける人。

 各拠点の担当者と話し、要件を整理する人。

 そして、その人たちは次のセンターへ移る。

 理沙は工程表を見つめた。

 自動化が進めば、人間の仕事は減る。

 少し前までは、そう思っていた。

 確かに、なくなる仕事もある。

 カーリーがいた交通管制センターのように。

 だが、すべてがなくなるわけではない。

 むしろ、その自動化を広げるために、別の人間たちが忙しく動き回っている。

 理沙は画面を少し縮小した。

 全体の計画が表示される。

 西から東へ。

 点がいくつも並んでいる。

 その点を、人間が移動していく。

 理沙は椅子の背へ身体を預けた。

「……結局、人が行くんだ」

 誰に聞かせるでもなく呟いた。

 画面の中では、新しいセンターの工程が静かに並んでいた。

 システムは、これからもっと賢くなる。

 もっと多くの仕事を、自動で処理するようになる。

 そのために。

 人間は、まだしばらく忙しく走り回ることになりそうだった。



003_14へ