アトランタ近郊で進められていた新センターの構築は、予定どおり次の段階へ入った。
建物そのものはすでに完成している。
空調設備。
電源設備。
通信回線。
最低限のインフラは整っていた。
そこへ、これからシステム機器が次々と搬入されていく。
シアトルで一か月ほど準備をしていた2人の担当者も、現地へ移った。
理沙がシステム管理や要件対応について説明してきた、あの男女だった。
出発前。
「向こうに行ってからが本番だからね」
理沙が言うと、2人は少し緊張した顔で頷いた。
「分からなかったら連絡します」
「分からなくなる前でもいいよ」
「それ、どういう意味ですか?」
「困ってからだと遅いこともあるから」
2人は笑った。
そのときは、理沙も笑っていた。
*
アトランタとシアトルには、3時間の時差がある。
現地の午前9時は、シアトルでは午前6時だった。
最初のころ、理沙は午前5時前に起きていた。
外はまだ暗い。
雨が降っている日もある。
簡単に顔を洗い、コーヒーだけを飲み、まだ眠っている街を職場へ向かう。
午前6時。
画面の向こうでは、アトランタの担当者たちがすでに一日の仕事を始めている。
「おはようございます」
「おはよう」
理沙はあくびを隠しながら答えた。
現地の進捗を確認する。
機材搬入。
設置。
接続。
初期設定。
試験準備。
工程表の上では、順調だった。
午前のミーティングを終える。
通常のシアトル側の仕事へ戻る。
午後の早い時間には、アトランタでは夕方になる。
そこで二度目のミーティング。
当初は、それで一日を終えられるはずだった。
「朝が早いぶん、早く帰れるなら悪くないか」
理沙はそう思っていた。
最初の一週間だけだった。
*
現地作業が進むにつれて、ミーティングの時間は伸びた。
「搬入予定のラック、一台遅れます」
「どの工程に影響する?」
「明日の接続試験です」
「じゃあ、先にできるところを入れ替えよう」
「銀行側の確認が必要です」
「私から聞く」
画面を閉じる。
別の担当者から呼ばれる。
アトランタ側からメッセージが来る。
その対応をしているうちに、シアトル側で本来担当している仕事が遅れる。
理沙はそれを片づける。
時計を見る。
午後6時。
「……朝、何時に来たっけ」
自分でも分からなくなる日が増えた。
*
もう一人の同僚と相談した。
「これ、2人とも朝から夜まで付き合ってたら持たないよね」
「持たない」
即答だった。
「朝は私がやる」
「じゃあ夕方は俺が引き受ける」
「何か大きいのが出たら呼んで」
「そっちも」
翌日から分担した。
理沙が朝。
同僚が夕方。
少しだけ楽になった。
しかし、画面の向こうにいる2人はそうではなかった。
*
進捗報告は毎日、ほぼ問題なしだった。
遅延なし。
重大障害なし。
搬入予定どおり。
設定作業予定どおり。
試験準備予定どおり。
それなのに。
「昨日、何時に帰ったの?」
ある朝、理沙が聞いた。
男性担当者が一瞬黙った。
「11時くらいです」
「夜の?」
「はい」
「今日、何時に来た?」
「7時半です」
理沙は画面を見た。
男性の顎には、以前より髭が目立っていた。
隣では女性担当者が、何かを食べながら資料を見ている。
「朝ご飯?」
理沙が聞く。
「昼ご飯です」
「そっち、もう昼か」
「食べる時間なくて」
彼女は笑った。
笑ってはいた。
ただ、目の下に少し影があった。
理沙は工程表を開いた。
すべて緑だった。
問題なし。
予定どおり。
理沙はしばらく、その画面と2人の顔を見比べた。
*
その日の午後。
理沙は同僚とダグラスのところへ行った。
「アトランタ、増員した方がいいと思います」
ダグラスが理沙を見る。
「理由は?」
「工程じゃなくて、人です」
理沙は勤務実績を表示した。
「この二週間、現地の2人が長時間勤務を続けてます」
「作業遅延は?」
「ありません」
「なら、なぜ増員が必要なんだ?」
理沙は少し考えた。
「遅れてからでは遅いからです」
ダグラスは黙っていた。
理沙は続けた。
「今は2人が無理して工程を守ってます。片方が抜けたら、たぶん一気に崩れます」
同僚も頷いた。
「現地判断できる要員を、もう1人か2人入れた方がいい」
ダグラスは資料を見た。
しばらくして、短く答えた。
「分かった」
「募集しますか?」
「今日出す」
理沙は少し安心した。
これで間に合う。
そう思った。
*
二日後。
朝のミーティングを始めようとしても、男性担当者が画面に現れなかった。
女性だけがいた。
「彼は?」
理沙が聞いた。
一瞬、間があった。
「病院です」
「え?」
「昨日、倒れました」
理沙は言葉を失った。
「作業中?」
「はい」
「大丈夫なの?」
「意識はあります。過労だろうって」
女性はそう言った。
声は落ち着いていた。
しかし、いつもよりゆっくりだった。
「しばらく休むことになると思います」
理沙は画面の端にある工程表を見た。
今日も緑だった。
*
一時間後。
ダグラスから呼ばれた。
「リサ」
「はい」
「アトランタへ行ってくれ」
理沙は少しだけ目を見開いた。
「いつですか?」
「今日」
「今日?」
「深夜便がある」
「……分かりました」
ダグラスは理沙の返事を待つことなく、資料を送った。
「追加要員が入るまでの暫定対応だ。現地の管理を手伝ってくれ」
「期間は?」
「分からない」
「ですよね」
理沙は小さく息を吐いた。
「今やってる仕事は?」
「引き継げ」
「今日中に?」
「飛行機に乗るまでに」
理沙はダグラスを見た。
ダグラスも理沙を見る。
「何か?」
「いえ」
理沙は少し笑った。
「相変わらずだなと思って」
「何が?」
「なんでもありません」
*
その日は慌ただしかった。
同僚へ担当作業を引き継ぐ。
未処理の課題を整理する。
アトランタ側の資料を端末へ転送する。
必要最低限の着替えをバッグへ詰める。
空港へ着いたころには、日付が変わろうとしていた。
理沙は機内の座席へ座った。
シートベルトを締める。
離陸を待つ。
それ以降の記憶がなかった。
*
目を覚ますと、機内が少し明るくなっていた。
「……もう?」
窓の外には朝の光が見えた。
よく眠ったという感覚より、気を失っていたような感覚に近かった。
アトランタへ到着する。
荷物を受け取る。
空港を出る。
そのまま車でセンターへ向かった。
ホテルへ寄る時間はなかった。
*
建物へ入った瞬間、理沙の眠気が少し消えた。
「……すごい」
思わず声が出た。
画面越しには何度も見ていた。
しかし、実際に見ると印象が違った。
広いセンター内部。
まだ空いているラック。
梱包された機器。
床を走る搬送経路。
その間を、人間と機械が同時に動いている。
人間が台車を押している。
そのすぐ横を、自律搬送機が大きな機材を載せて走る。
決められた位置で止まる。
別のロボットアームが梱包を固定していた部材を外す。
人間の作業員が端末を確認し、設置場所を指示する。
ロボットが動く。
止まる。
また人間が確認する。
ロサンゼルス交通管制センターで働いていたころとは、まったく違った。
あのころは、人が機材を運び、人が組み立て、人が接続していた。
今は、その一部を機械が普通にこなしている。
動きに迷いがない。
疲れもしない。
理沙はしばらく、その光景を見ていた。
「リサ」
声をかけられた。
振り返る。
現地担当の女性だった。
「来てくれたんですね」
「来たよ」
「助かります」
彼女は笑った。
間近で見ると、画面越しよりさらに疲れて見えた。
「まず」
理沙は言った。
「何が一番困ってる?」
女性は少し考えた。
「全部です」
「……そうなるよね」
2人で笑った。
*
理沙が現地へ入って分かったのは、機械が増えたからといって、仕事が単純になるわけではないということだった。
むしろ別の仕事が増えていた。
「搬送ロボット、ここ通れません」
「なんで?」
「搬入口側の仮設ケーブルが図面と違います」
「じゃあ経路変更」
「別の機材搬入とかぶります」
「時間ずらそう」
「運送業者への連絡が必要です」
「私がやる」
別の場所では。
「ラック位置、設計図と3センチずれてます」
「3センチ?」
「床側の固定位置が違うみたいです」
「そのまま置ける?」
「隣の配線スペースが足りなくなります」
「じゃあ設計側呼んで」
「今シアトルです」
「つないで」
さらに別の担当者が来る。
「銀行から仕様変更です」
「今?」
「今です」
「どこ?」
理沙は資料を受け取った。
ロボットは、指示された作業を正確にこなしている。
止まれと言えば止まる。
運べと言えば運ぶ。
指定した場所へ機材を置く。
しかし、その指定した場所が間違っていたら。
作業順序が変わったら。
予定していた機材が来なかったら。
誰かが判断しなければならない。
*
現地へ来て数日。
理沙は、ほとんど機材を持っていなかった。
ロサンゼルスでは、自分で台車を押した。
ケーブルを運んだ。
機器を設置した。
ここでは違う。
話す。
確認する。
判断する。
予定を組み替える。
誰かへ連絡する。
責任者へ説明する。
その繰り返しだった。
それなのに。
ホテルへ戻るころには、全身が重かった。
ベッドへ腰を下ろす。
「……何も運んでないのに」
靴を脱ぐ。
そのまま後ろへ倒れる。
身体だけではなかった。
頭が疲れていた。
一つ判断を間違えれば、その後ろにいる何十人もの作業へ影響する。
ロボットも止まる。
搬入も止まる。
試験も遅れる。
誰かが考えなければ、何も進まない。
*
追加要員が到着したあとも、すぐに楽にはならなかった。
新しく来た人間に状況を説明する必要がある。
役割を決める。
判断基準を共有する。
現地担当の女性と理沙で、仕事を切り分ける。
一週間。
二週間。
少しずつ、工程が落ち着いていった。
過労で倒れた男性担当者からは、一度だけ短いメッセージが届いた。
<迷惑かけてすみません>
理沙はすぐに返した。
<今は休んでください>
それ以上は書かなかった。
*
三週間が過ぎた。
センターは、運用開始直前までたどり着いていた。
ラックには機器が収まっている。
床に置かれていた梱包箱も、ほとんどなくなった。
ロボットは決められた経路を静かに動いている。
監視システムも稼働を始めている。
運用が始まれば、以前より少ない人数で多くの作業を処理できる。
障害の検知。
初期判断。
機材の搬送。
定型的な保守。
人間が身体を使って行っていた仕事の多くが、機械に置き換わる。
理沙はセンターの一角に立って、その光景を眺めていた。
「終わりそうですね」
隣で女性担当者が言った。
「そうだね」
「長かった……」
「三週間しかいない私でも長いと思う」
「私はもう何か月いた気分です」
2人で笑った。
少し離れたところを、搬送ロボットが静かに通り過ぎる。
機材を載せている。
疲れた様子もない。
愚痴も言わない。
理沙はそれを目で追った。
「こういうのが増えたら」
女性が言った。
「私たち、少しは楽になりますかね」
理沙はすぐには答えなかった。
「どうだろう」
「ならない?」
「違う仕事が増える気がする」
「嫌なこと言いますね」
「私も今そう思った」
2人はまた笑った。
*
センターが完成すれば、少ない人員で動かせる。
それは間違っていない。
人間が重い機材を運ばなくて済む。
24時間、同じ場所を見続ける必要もない。
危険な場所へ入る仕事も減る。
楽になる部分は、確かにある。
けれど。
その仕組みを作るまでには、人がいる。
設計する人。
説明する人。
現地へ行く人。
予定を調整する人。
想定外のことが起きたとき、どうするのか決める人。
そして、その変化についていく人。
理沙は、完成に近づいたセンターを見渡した。
三週間前。
一人の担当者が倒れた。
その穴を埋めるために、自分が夜中の飛行機へ乗った。
追加要員が来た。
多くの人間が動いた。
その先に、少ない人数で動くセンターが出来上がろうとしている。
何となく、皮肉だった。
人間がいらなくなるための仕組みを、人間がこれほど苦労して作っている。
けれど、それだけでもない。
なくなる仕事もある。
形を変えて残る仕事もある。
新しく生まれる仕事もある。
理沙には、まだその先が見えなかった。
ただ一つ。
機械が変化する速さより、その変化についていく人間の方が、ずっと苦労しているような気がした。
「リサ」
女性担当者が呼んだ。
「次の確認、始めます」
「今行く」
理沙はセンターをもう一度見渡した。
自律搬送機が床を滑るように進んでいる。
その向こうでは、人間が数人、画面を囲んで何かを話し合っていた。
理沙はそちらへ歩き出した。
運用開始まで、もう少しだった。
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