003_14_人にしかできない仕事(2)

 アトランタ近郊で進められていた新センターの構築は、予定どおり次の段階へ入った。

 建物そのものはすでに完成している。

 空調設備。

 電源設備。

 通信回線。

 最低限のインフラは整っていた。

 そこへ、これからシステム機器が次々と搬入されていく。

 シアトルで一か月ほど準備をしていた2人の担当者も、現地へ移った。

 理沙がシステム管理や要件対応について説明してきた、あの男女だった。

 出発前。

「向こうに行ってからが本番だからね」

 理沙が言うと、2人は少し緊張した顔で頷いた。

「分からなかったら連絡します」

「分からなくなる前でもいいよ」

「それ、どういう意味ですか?」

「困ってからだと遅いこともあるから」

 2人は笑った。

 そのときは、理沙も笑っていた。

     *

 アトランタとシアトルには、3時間の時差がある。

 現地の午前9時は、シアトルでは午前6時だった。

 最初のころ、理沙は午前5時前に起きていた。

 外はまだ暗い。

 雨が降っている日もある。

 簡単に顔を洗い、コーヒーだけを飲み、まだ眠っている街を職場へ向かう。

 午前6時。

 画面の向こうでは、アトランタの担当者たちがすでに一日の仕事を始めている。

「おはようございます」

「おはよう」

 理沙はあくびを隠しながら答えた。

 現地の進捗を確認する。

 機材搬入。

 設置。

 接続。

 初期設定。

 試験準備。

 工程表の上では、順調だった。

 午前のミーティングを終える。

 通常のシアトル側の仕事へ戻る。

 午後の早い時間には、アトランタでは夕方になる。

 そこで二度目のミーティング。

 当初は、それで一日を終えられるはずだった。

「朝が早いぶん、早く帰れるなら悪くないか」

 理沙はそう思っていた。

 最初の一週間だけだった。

     *

 現地作業が進むにつれて、ミーティングの時間は伸びた。

「搬入予定のラック、一台遅れます」

「どの工程に影響する?」

「明日の接続試験です」

「じゃあ、先にできるところを入れ替えよう」

「銀行側の確認が必要です」

「私から聞く」

 画面を閉じる。

 別の担当者から呼ばれる。

 アトランタ側からメッセージが来る。

 その対応をしているうちに、シアトル側で本来担当している仕事が遅れる。

 理沙はそれを片づける。

 時計を見る。

 午後6時。

「……朝、何時に来たっけ」

 自分でも分からなくなる日が増えた。

     *

 もう一人の同僚と相談した。

「これ、2人とも朝から夜まで付き合ってたら持たないよね」

「持たない」

 即答だった。

「朝は私がやる」

「じゃあ夕方は俺が引き受ける」

「何か大きいのが出たら呼んで」

「そっちも」

 翌日から分担した。

 理沙が朝。

 同僚が夕方。

 少しだけ楽になった。

 しかし、画面の向こうにいる2人はそうではなかった。

     *

 進捗報告は毎日、ほぼ問題なしだった。

 遅延なし。

 重大障害なし。

 搬入予定どおり。

 設定作業予定どおり。

 試験準備予定どおり。

 それなのに。

「昨日、何時に帰ったの?」

 ある朝、理沙が聞いた。

 男性担当者が一瞬黙った。

「11時くらいです」

「夜の?」

「はい」

「今日、何時に来た?」

「7時半です」

 理沙は画面を見た。

 男性の顎には、以前より髭が目立っていた。

 隣では女性担当者が、何かを食べながら資料を見ている。

「朝ご飯?」

 理沙が聞く。

「昼ご飯です」

「そっち、もう昼か」

「食べる時間なくて」

 彼女は笑った。

 笑ってはいた。

 ただ、目の下に少し影があった。

 理沙は工程表を開いた。

 すべて緑だった。

 問題なし。

 予定どおり。

 理沙はしばらく、その画面と2人の顔を見比べた。

     *

 その日の午後。

 理沙は同僚とダグラスのところへ行った。

「アトランタ、増員した方がいいと思います」

 ダグラスが理沙を見る。

「理由は?」

「工程じゃなくて、人です」

 理沙は勤務実績を表示した。

「この二週間、現地の2人が長時間勤務を続けてます」

「作業遅延は?」

「ありません」

「なら、なぜ増員が必要なんだ?」

 理沙は少し考えた。

「遅れてからでは遅いからです」

 ダグラスは黙っていた。

 理沙は続けた。

「今は2人が無理して工程を守ってます。片方が抜けたら、たぶん一気に崩れます」

 同僚も頷いた。

「現地判断できる要員を、もう1人か2人入れた方がいい」

 ダグラスは資料を見た。

 しばらくして、短く答えた。

「分かった」

「募集しますか?」

「今日出す」

 理沙は少し安心した。

 これで間に合う。

 そう思った。

     *

 二日後。

 朝のミーティングを始めようとしても、男性担当者が画面に現れなかった。

 女性だけがいた。

「彼は?」

 理沙が聞いた。

 一瞬、間があった。

「病院です」

「え?」

「昨日、倒れました」

 理沙は言葉を失った。

「作業中?」

「はい」

「大丈夫なの?」

「意識はあります。過労だろうって」

 女性はそう言った。

 声は落ち着いていた。

 しかし、いつもよりゆっくりだった。

「しばらく休むことになると思います」

 理沙は画面の端にある工程表を見た。

 今日も緑だった。

     *

 一時間後。

 ダグラスから呼ばれた。

「リサ」

「はい」

「アトランタへ行ってくれ」

 理沙は少しだけ目を見開いた。

「いつですか?」

「今日」

「今日?」

「深夜便がある」

「……分かりました」

 ダグラスは理沙の返事を待つことなく、資料を送った。

「追加要員が入るまでの暫定対応だ。現地の管理を手伝ってくれ」

「期間は?」

「分からない」

「ですよね」

 理沙は小さく息を吐いた。

「今やってる仕事は?」

「引き継げ」

「今日中に?」

「飛行機に乗るまでに」

 理沙はダグラスを見た。

 ダグラスも理沙を見る。

「何か?」

「いえ」

 理沙は少し笑った。

「相変わらずだなと思って」

「何が?」

「なんでもありません」

     *

 その日は慌ただしかった。

 同僚へ担当作業を引き継ぐ。

 未処理の課題を整理する。

 アトランタ側の資料を端末へ転送する。

 必要最低限の着替えをバッグへ詰める。

 空港へ着いたころには、日付が変わろうとしていた。

 理沙は機内の座席へ座った。

 シートベルトを締める。

 離陸を待つ。

 それ以降の記憶がなかった。

     *

 目を覚ますと、機内が少し明るくなっていた。

「……もう?」

 窓の外には朝の光が見えた。

 よく眠ったという感覚より、気を失っていたような感覚に近かった。

 アトランタへ到着する。

 荷物を受け取る。

 空港を出る。

 そのまま車でセンターへ向かった。

 ホテルへ寄る時間はなかった。

     *

 建物へ入った瞬間、理沙の眠気が少し消えた。

「……すごい」

 思わず声が出た。

 画面越しには何度も見ていた。

 しかし、実際に見ると印象が違った。

 広いセンター内部。

 まだ空いているラック。

 梱包された機器。

 床を走る搬送経路。

 その間を、人間と機械が同時に動いている。

 人間が台車を押している。

 そのすぐ横を、自律搬送機が大きな機材を載せて走る。

 決められた位置で止まる。

 別のロボットアームが梱包を固定していた部材を外す。

 人間の作業員が端末を確認し、設置場所を指示する。

 ロボットが動く。

 止まる。

 また人間が確認する。

 ロサンゼルス交通管制センターで働いていたころとは、まったく違った。

 あのころは、人が機材を運び、人が組み立て、人が接続していた。

 今は、その一部を機械が普通にこなしている。

 動きに迷いがない。

 疲れもしない。

 理沙はしばらく、その光景を見ていた。

「リサ」

 声をかけられた。

 振り返る。

 現地担当の女性だった。

「来てくれたんですね」

「来たよ」

「助かります」

 彼女は笑った。

 間近で見ると、画面越しよりさらに疲れて見えた。

「まず」

 理沙は言った。

「何が一番困ってる?」

 女性は少し考えた。

「全部です」

「……そうなるよね」

 2人で笑った。

     *

 理沙が現地へ入って分かったのは、機械が増えたからといって、仕事が単純になるわけではないということだった。

 むしろ別の仕事が増えていた。

「搬送ロボット、ここ通れません」

「なんで?」

「搬入口側の仮設ケーブルが図面と違います」

「じゃあ経路変更」

「別の機材搬入とかぶります」

「時間ずらそう」

「運送業者への連絡が必要です」

「私がやる」

 別の場所では。

「ラック位置、設計図と3センチずれてます」

「3センチ?」

「床側の固定位置が違うみたいです」

「そのまま置ける?」

「隣の配線スペースが足りなくなります」

「じゃあ設計側呼んで」

「今シアトルです」

「つないで」

 さらに別の担当者が来る。

「銀行から仕様変更です」

「今?」

「今です」

「どこ?」

 理沙は資料を受け取った。

 ロボットは、指示された作業を正確にこなしている。

 止まれと言えば止まる。

 運べと言えば運ぶ。

 指定した場所へ機材を置く。

 しかし、その指定した場所が間違っていたら。

 作業順序が変わったら。

 予定していた機材が来なかったら。

 誰かが判断しなければならない。

     *

 現地へ来て数日。

 理沙は、ほとんど機材を持っていなかった。

 ロサンゼルスでは、自分で台車を押した。

 ケーブルを運んだ。

 機器を設置した。

 ここでは違う。

 話す。

 確認する。

 判断する。

 予定を組み替える。

 誰かへ連絡する。

 責任者へ説明する。

 その繰り返しだった。

 それなのに。

 ホテルへ戻るころには、全身が重かった。

 ベッドへ腰を下ろす。

「……何も運んでないのに」

 靴を脱ぐ。

 そのまま後ろへ倒れる。

 身体だけではなかった。

 頭が疲れていた。

 一つ判断を間違えれば、その後ろにいる何十人もの作業へ影響する。

 ロボットも止まる。

 搬入も止まる。

 試験も遅れる。

 誰かが考えなければ、何も進まない。

     *

 追加要員が到着したあとも、すぐに楽にはならなかった。

 新しく来た人間に状況を説明する必要がある。

 役割を決める。

 判断基準を共有する。

 現地担当の女性と理沙で、仕事を切り分ける。

 一週間。

 二週間。

 少しずつ、工程が落ち着いていった。

 過労で倒れた男性担当者からは、一度だけ短いメッセージが届いた。

 <迷惑かけてすみません>

 理沙はすぐに返した。

 <今は休んでください>

 それ以上は書かなかった。

     *

 三週間が過ぎた。

 センターは、運用開始直前までたどり着いていた。

 ラックには機器が収まっている。

 床に置かれていた梱包箱も、ほとんどなくなった。

 ロボットは決められた経路を静かに動いている。

 監視システムも稼働を始めている。

 運用が始まれば、以前より少ない人数で多くの作業を処理できる。

 障害の検知。

 初期判断。

 機材の搬送。

 定型的な保守。

 人間が身体を使って行っていた仕事の多くが、機械に置き換わる。

 理沙はセンターの一角に立って、その光景を眺めていた。

「終わりそうですね」

 隣で女性担当者が言った。

「そうだね」

「長かった……」

「三週間しかいない私でも長いと思う」

「私はもう何か月いた気分です」

 2人で笑った。

 少し離れたところを、搬送ロボットが静かに通り過ぎる。

 機材を載せている。

 疲れた様子もない。

 愚痴も言わない。

 理沙はそれを目で追った。

「こういうのが増えたら」

 女性が言った。

「私たち、少しは楽になりますかね」

 理沙はすぐには答えなかった。

「どうだろう」

「ならない?」

「違う仕事が増える気がする」

「嫌なこと言いますね」

「私も今そう思った」

 2人はまた笑った。

     *

 センターが完成すれば、少ない人員で動かせる。

 それは間違っていない。

 人間が重い機材を運ばなくて済む。

 24時間、同じ場所を見続ける必要もない。

 危険な場所へ入る仕事も減る。

 楽になる部分は、確かにある。

 けれど。

 その仕組みを作るまでには、人がいる。

 設計する人。

 説明する人。

 現地へ行く人。

 予定を調整する人。

 想定外のことが起きたとき、どうするのか決める人。

 そして、その変化についていく人。

 理沙は、完成に近づいたセンターを見渡した。

 三週間前。

 一人の担当者が倒れた。

 その穴を埋めるために、自分が夜中の飛行機へ乗った。

 追加要員が来た。

 多くの人間が動いた。

 その先に、少ない人数で動くセンターが出来上がろうとしている。

 何となく、皮肉だった。

 人間がいらなくなるための仕組みを、人間がこれほど苦労して作っている。

 けれど、それだけでもない。

 なくなる仕事もある。

 形を変えて残る仕事もある。

 新しく生まれる仕事もある。

 理沙には、まだその先が見えなかった。

 ただ一つ。

 機械が変化する速さより、その変化についていく人間の方が、ずっと苦労しているような気がした。

「リサ」

 女性担当者が呼んだ。

「次の確認、始めます」

「今行く」

 理沙はセンターをもう一度見渡した。

 自律搬送機が床を滑るように進んでいる。

 その向こうでは、人間が数人、画面を囲んで何かを話し合っていた。

 理沙はそちらへ歩き出した。

 運用開始まで、もう少しだった。



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