003_16_興味半分で申し込む

 アトランタの新センターが本稼働に入ったことで、全米各地に分散していたバンキングセンター網は、ほぼ完成した。

 理沙がシアトルへ戻ってからも、細かな調整は続いた。

 負荷分散。

 監視条件。

 センター間の切り替え。

 障害時の運用。

 アトランタで見つかった小さな問題を、ほかの拠点へ反映する作業もあった。

 それでも、以前のように毎週大きな仕様変更が降ってくることは少なくなっていた。

 システムは、完成に近づいていた。

 そして最後に残ったのが、災害対策テストだった。

     *

「開始時刻を知っているのは、この部屋にいる人間と監督側だけだ」

 ダグラスが言った。

 会議室には、理沙を含めて数人しかいなかった。

 壁面には、全米に配置されたバンキングセンターの状態が表示されている。

 東部。

 中西部。

 西部。

 南部。

 そしてアトランタ。

 すべて正常。

 すべて緑。

「現地の運用担当者には?」

 誰かが聞いた。

「知らせていない」

 ダグラスは答えた。

「通常の障害として対応してもらう」

 理沙は画面を見た。

 今回のテストは、訓練用の環境だけで行うものではなかった。

 実際に稼働しているシステムの一部を計画的に切り離し、残ったセンターが自動的に処理を引き継ぐかを確認する。

 当然、監督部門の承認は取られている。

 緊急時には即座に元へ戻す手段も用意されている。

 それでも、本番の業務が動いている最中に行うことには変わりなかった。

「災害は日時を選ばない」

 ダグラスが言った。

「予定どおり起きてくれる災害なんてないからな」

 誰も答えなかった。

 時刻が近づく。

     *

 午後2時30分。

 理沙は自分の端末を見つめていた。

 最初の対象は、東部地域の二つのセンター。

 通常どおり大量の処理が流れている。

 店舗。

 企業取引。

 ATM。

 決済。

 そこにいる誰も、あと数秒で何が起きるのか知らない。

 ダグラスが時計を見る。

「実施」

 担当者が操作した。

 二つのセンターとの接続が、同時に失われた。

 画面上の表示が変わる。

 緑だった二つの拠点が赤くなった。

 警告。

 通信断。

 処理停止。

 複数のメッセージが一気に流れ始める。

 理沙は時計を見た。

 1分。

 別のセンターへ処理の振り替えが始まる。

 現地運用側から障害報告。

 原因調査開始。

 マニュアルに従った切り替え処理。

 理沙たちは手を出さない。

 画面を見ているだけだった。

 3分。

 東部地域の一部店舗で処理遅延。

 代替経路が確立される。

 5分。

 サービスの大部分が復旧。

 まだ一部に遅延。

「切り替え確認」

 誰かが言った。

「処理量、戻ってます」

 理沙は時計を見る。

 8分。

 9分。

 10分を少し過ぎたところで、主要業務が通常状態へ戻った。

 赤かった表示が、順番に変わっていく。

 理沙は息を吐いた。

「……戻った」

 ダグラスは表情を変えなかった。

「記録を確認」

 すぐに次の仕事が始まった。

     *

 その日のテストは成功だった。

 後から知らされた現地担当者の中には、本当の障害だと思ってかなり焦った者もいたらしい。

 しかし、それでよかった。

 何が起きたのか分からない状態でも、決められた手順に従い、必要な判断を行い、業務を戻せること。

 それを確認するためのテストだった。

 数日後。

 今度は西部地域。

 別の日には、さらに大きな範囲を切り離した。

 そして最後。

 アトランタ以外の主要センターが同時に利用不能になったという想定。

 理沙は画面に並ぶ警告を見つめていた。

 以前なら、それだけで胃が重くなったかもしれない。

 今は、どこを見るべきかが分かる。

 どこが自動で切り替わり、どこで人間の判断が必要になるのか。

 ダグラスから言われる前に、確認すべき場所へ視線が動く。

 結果は、ほぼ想定どおりだった。

 いくつか小さな問題は残った。

 しかし、重大な停止はない。

 最後の報告書が承認されたとき、ダグラスが短く言った。

「これで一段落だ」

 理沙は椅子へ身体を預けた。

「……終わった」

 今度は、少し実感があった。

     *

 その日の帰り。

 理沙はいつもより早い時間にシステムセンターを出た。

 空は曇っていた。

 シアトルでは見慣れた色だった。

 歩きながら、妙な感覚が残っていた。

 仕事が終わった。

 正確には、仕事そのものがなくなるわけではない。

 運用は続く。

 改善も続く。

 障害だって起きる。

 それでも。

 構築。

 移行。

 新センターの立ち上げ。

 大規模テスト。

 そうした仕事の大部分は、もう終わった。

 ロサンゼルスの交通管制センターで働いていたころを思い出す。

 完成した。

 祝った。

 そして、チームは解散した。

 カーリーも職を失った。

 理沙は歩きながら、少しだけ笑った。

「……またかな」

 まだ何も言われていない。

 だが、予想するのは難しくなかった。

     *

 それから、理沙は以前より頻繁に職探しエージェントを見るようになった。

 仕事がなくなってから探すのでは遅い。

 ロサンゼルスで教わったことだった。

 システム管理。

 インフラ構築。

 金融。

 交通。

 セキュリティ。

 自動化。

 技術職を条件にすれば、求人はいくらでも出てきた。

 民間企業だけではない。

 州政府。

 公共機関。

 研究機関。

 行政系システム。

 理沙は昼休みに、そんな情報を何となく眺めていた。

 すぐに転職するつもりがあるわけではない。

 ただ、世の中で何が求められているのかを見るのは面白かった。

 画面を下へ流していく。

 また一件。

 その次。

 さらにその次。

 指が止まった。

「……ん?」

 少し毛色の違う項目があった。

 国防総省直轄。

 技術士官候補募集。

 理沙は画面を開いた。

「軍?」

 最初は、それだけだった。

 内容を読む。

 通信。

 システム開発。

 ロジスティック。

 情報管理。

 サイバーセキュリティ。

 航空。

 宇宙関連システム。

 理沙の知っている言葉が、思っていたより多く並んでいた。

 画面を少し下げる。

 そして、ある項目で指が止まった。

 **応募時点で米国籍を問わない。**

「……え?」

 理沙は読み直した。

 間違いではなかった。

 一定の条件を満たす外国籍の技術者についても、専門職士官候補として応募できる。

 ただし、一部の戦略判断、戦闘指揮、機密区分の高い職務には制限がある。

 それ以外については、所定の教育課程と審査を経たうえで、士官として勤務する。

「外国人でもいいんだ……」

 理沙は少し意外に思った。

 軍隊というものは、もっと閉じた世界だと思っていた。

 画面の上部へ戻る。

 もう一度、タイトルを見る。

 技術士官。

「へえ」

 その日は、それだけだった。

 理沙はページをブックマークし、昼食を食べ終えると仕事へ戻った。

     *

 翌日の夜。

 自宅でシャワーを浴びたあと、理沙はベッドに横になっていた。

 何となくスマートフォンを開く。

 職探しエージェント。

 そして、昨日保存したページ。

「まだある」

 当たり前だった。

 理沙は続きを読んだ。

 事前審査。

 技術経歴。

 学歴。

 身体条件。

 適性検査。

 面談。

 教育課程。

「結構あるな……」

 長かった。

 理沙は画面をスクロールする。

 途中で面倒になった。

 ネットショッピングなら、ここで利用規約を読み飛ばして購入ボタンを押しているところだった。

「こういうの、いつも読まないんだけどな」

 それでも、その日はもう少し読んだ。

 待遇。

 住居支援。

 医療。

 技術教育。

 配属条件。

 勤務地。

 転属。

「転勤、多そう」

 理沙は呟いた。

 全国各地。

 海外拠点。

 研究施設。

 システム開発拠点。

 現場支援。

 今の自分と、それほど遠くないようにも見えた。

 ただし。

 肩書きは軍士官だった。

「……いやいや」

 理沙は画面を閉じた。

 そのまま眠った。

     *

 2日後。

 昼休みに、また開いた。

 今度は配属分野を読んだ。

 ロジスティック。

 インフラ。

 システム設計。

 通信。

 自動化。

 航空宇宙。

 アトランタ空港で見た映像が、ほんの一瞬だけ頭に浮かんだ。

 巨大な親機。

 その背中から切り離されるシャトル。

 理沙はそこを少し長く見た。

 しかし、それ以上は考えなかった。

 ページを閉じた。

     *

 さらに数日後。

 帰宅後。

 今度は、国籍に関する条件を読んだ。

 外国籍のまま勤務可能な分野。

 制限される権限。

 昇進条件。

 そして、その中に一つ気になる項目があった。

 一定期間、所定の勤務実績を積んだ者については、米国籍取得手続き上の優遇措置が設けられている。

 理沙はそこで少し止まった。

 米国籍。

 そこまで考えたことはなかった。

 今も横浜には、自分の部屋が残っている。

 日本へ戻ろうと思えば戻れる。

 その一方で、ロサンゼルスからシアトルへ移り、今は全米各地を行き来する仕事をしている。

「……そこまで先の話じゃないでしょ」

 理沙は自分に言った。

 ページを閉じた。

     *

 それでも、次の日も見た。

 その次の日も。

 気がつけば、二週間ほど経っていた。

 最初は「国籍不問」という一文が面白くて開いただけだった。

 今では、募集要項のどこに何が書いてあるのか、だいたい分かるようになっていた。

 体力審査。

 理沙は少し顔をしかめた。

「これ、嫌だな」

 面談。

「まあ、普通」

 技術審査。

「これは何とかなるか」

 教育期間。

「長いな……」

 募集要項に向かって、一人で感想を言うようになっていた。

 それでも。

 応募はしなかった。

 軍人になりたいわけではない。

 今の仕事が嫌いなわけでもない。

 転職する必要だって、まだない。

 ただ。

 このページだけは、ブックマークから消さなかった。

     *

 久しぶりに一週間の休暇を取った。

 その初日。

 目覚ましをかけなかった理沙は、午前九時過ぎまで眠っていた。

 窓の外は曇っていた。

 いつものシアトルだった。

 ゆっくり起きる。

 コーヒーを淹れる。

 簡単な朝食を作る。

 今日は何をしようか。

 買い物。

 街を歩く。

 何もしない。

 どれでもよかった。

 理沙はテーブルへ座った。

 スマートフォンを手に取る。

 ニュースを見る。

 メッセージを見る。

 何となくブックマークを開いた。

 そこに、まだあった。

 技術士官候補募集。

「……まだ募集してる」

 コーヒーを飲む。

 ページを開く。

 もう、読むところはほとんどなかった。

 内容は二週間かけて何度も確認している。

 理沙は画面を下へ動かした。

 一番下。

 **事前審査へ申し込む。**

 ボタンがあった。

 理沙は指を止めた。

「……」

 別に、合格するとは限らない。

 応募したからといって、そのまま軍へ入るわけでもない。

 事前審査。

 最初の入口にすぎない。

 理沙はコーヒーを一口飲んだ。

「まあ……審査だけなら」

 ボタンを押した。

     *

 申請画面が開いた。

 氏名。

 生年月日。

 国籍。

 在留資格。

 学歴。

 技術分野。

 職歴。

 保有資格。

 現在の勤務先。

 理沙は一項目ずつ入力していった。

 東京でのシステム会社勤務。

 ロサンゼルス交通管制センター。

 シアトルの金融系システムセンター。

 アトランタでの現地支援。

 入力してみると、思っていたより項目が埋まった。

「……結構やってるね、私」

 自分で少し感心した。

 最後に確認画面が表示された。

 内容に間違いがないことを確認する。

 画面の一番下。

 **申請する。**

 また、指が止まった。

 ほんの数秒だった。

「落ちたら、それまでか」

 押した。

 画面が切り替わる。

 申請受付。

 受付番号。

 審査結果については、後日通知する。

「……終わり?」

 理沙は画面を見た。

 それだけだった。

 何か特別な音が鳴るわけでもない。

 人生が変わった感じもしない。

 理沙はスマートフォンをテーブルへ置いた。

 残っていたコーヒーを飲む。

 少し冷めていた。

 窓の外を見る。

 曇り空。

 今日は雨にはならないらしい。

「さて」

 理沙は立ち上がった。

「何しようかな」

 一週間の休暇は、まだ始まったばかりだった。

 買い物にでも行こうか。

 久しぶりに街を歩くのもいい。

 そんなことを考えながら、理沙は空になったカップをキッチンへ運んだ。

 テーブルの上では、スマートフォンの画面がすでに暗くなっていた。

 その中に、一件の申請が残っていた。

 この朝の理沙にとっては、興味半分で押したボタンにすぎなかった。



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