003_23_面談前日

 小川美奈を空港で見送ってから、10日ほど経った。

 その日の午後。

 理沙は短期の仕事から帰宅すると、郵便受けの中に見慣れない封筒が入っているのに気づいた。

 国防総省。

 差出人を見ただけで、何の書類なのかは分かった。

「来たか……」

 部屋へ戻る。

 バッグを置き、まだ着替えもしないまま封筒を開いた。

 最初の一枚に目を通す。

 書類審査。

 通過。

 理沙はしばらく、その文字を見ていた。

 驚いたわけではなかった。

 これまでの職歴。

 提出した経歴。

 技術分野での経験。

 少なくとも、書類だけで落とされることはないだろう。

 どこかで、そう思っていた。

 それでも。

 正式な通知として自分の名前の下に面談日時まで書かれていると、急に現実味が増した。

「……本当に面談するんだ」

 自分で申し込んだのだから当然だった。

 理沙は小さく息を吐いた。

     *

 同封されていた案内資料を読む。

 面談日は、10日後。

 場所はロサンゼルス市内の軍施設。

 開始時刻。

 集合時刻。

 入場方法。

 本人確認に必要なもの。

 持参する書類。

 施設入口での確認手続き。

 遅刻した場合の扱いまで、簡潔に記載されていた。

「身分証、忘れたら終わりね」

 理沙は苦笑した。

 普通の会社の面接とは少し違う。

 さらにページをめくる。

 面談担当者は二名。

 一対二の対面形式。

 具体的な氏名までは記載されていなかった。

 ただし、士官学校の事務担当者ではなく、軍内部で技術部門に従事している士官が担当する、とある。

 理沙はその一文を二度読んだ。

「技術の人なんだ……」

 少しだけ安心した。

 同時に、少しだけ緊張した。

 分からないことを適当に答えれば、すぐに見抜かれる相手だろう。

     *

 その夜。

 ロサンゼルス行きの航空券を予約した。

 前日に入り、一泊。

 面談を終えた翌日にシアトルへ戻る。

 ホテルも、軍施設へ移動しやすい場所を選んだ。

 予約を終えたところで、理沙は少し考えた。

 連絡先を開く。

 カーリー。

 一年以上前。

 ロサンゼルスで最初にできた友人。

 理沙は短いメッセージを書いた。

 ――来週、ロサンゼルスへ行くことになりました。

 続けて、

 ――軍の技術士官の面談です。

 送信。

 10分ほどして返信が来た。

 ――え、本当にそこまで進んだの?

 理沙は笑った。

 ――自分でもびっくりしてる。

 少し間があいた。

 ――その日、会える?

 しばらく返信がなかった。

 やがて。

 ――ごめん。その日は夜勤なの。

「ああ……」

 理沙は小さく声を出した。

 残念だった。

 せっかくロサンゼルスへ戻るのだから、久しぶりに会いたかった。

 すぐに次のメッセージが来る。

 ――でも面談、頑張って。

 さらに、

 ――リサなら大丈夫。

 理沙は画面を見つめた。

「そんな簡単に言うかな」

 独り言を言いながらも、口元は少し緩んでいた。

 ――ありがとう。また今度ね。

 送信。

 スマートフォンを置いた。

 今は、面談に集中する。

 そう思った。

     *

 それからの10日間は、特別なことをしなかった。

 朝は走る。

 公園でストレッチをする。

 昼間は短期の仕事。

 夜は軽い筋力トレーニング。

 食事。

 シャワー。

 睡眠。

 面談が近づいていることを意識しすぎると、余計なことばかり考えそうだった。

 規則正しい生活は、それを防いでくれた。

 もちろん、まったく考えなかったわけではない。

 ときどき、面談資料を開いた。

 経歴。

 技術経験。

 志望理由。

 今後希望する分野。

 質問されそうなことを、頭の中で整理する。

 システム運用。

 インフラ構築。

 大規模障害への対応。

 チームでの仕事。

 後進教育。

 話せることはいくらでもあった。

 けれど。

 その一番先にある問いだけは、どうしても形にならなかった。

     *

 面談前日。

 理沙は午前中の便でロサンゼルスへ向かった。

 窓側の席。

 飛行機が高度を下げ始める。

 眼下に、見覚えのある街並みが広がった。

「あ……」

 理沙は窓の外を見た。

 ロサンゼルス。

 一年前。

 ほとんど何も分からないまま到着した街。

 仕事もなかった。

 知り合いもいなかった。

 安いホテルに泊まり、小さなアパートを探した。

 夜は外を出歩かないようにしていた。

 その同じ街へ。

 今度は軍の面談を受けるために戻ってきた。

 理沙は少しだけ可笑しくなった。

「一年で、ずいぶん変わるね」

 誰に言うでもなく呟いた。

     *

 空港からホテルへ向かう。

 カーリーには、到着したことだけ知らせた。

 夜勤前らしく、すぐに短い返信が来た。

 ――Good luck.

 それだけだった。

 理沙は画面を見て、小さく笑った。

     *

 ホテルの部屋は、ごく普通だった。

 ベッド。

 机。

 テレビ。

 小さな冷蔵庫。

 窓の外には、夕方の街。

 理沙は荷物を置き、明日のためのものを机に並べた。

 通知書。

 身分証。

 必要な書類。

 筆記具。

 交通経路。

 集合時刻。

 一つずつ確認する。

「大丈夫」

 もう一度確認する。

「……大丈夫」

 それでも、机から離れて数分すると、また確認したくなる。

 理沙は苦笑した。

「やめよう」

 書類をまとめ、バッグへ戻した。

     *

 夕食はホテルの近くで簡単に済ませた。

 酒は飲まなかった。

 部屋へ戻る。

 シャワーを浴びる。

 明日の服を用意する。

 時計を見る。

 まだ、寝るには少し早い。

 理沙はベッドへ横になった。

 天井を見る。

 白い天井。

 空調の低い音。

 外を走る車の音。

 目を閉じる。

 すぐには眠れなかった。

     *

 明日。

 何を聞かれるのだろう。

 技術経験。

 これまで担当したシステム。

 障害対応。

 チームでの仕事。

 リーダー経験。

 それなら答えられる。

 仕事の話なら、いくらでもできる。

 理沙は天井を見ながら、頭の中で想定問答を繰り返した。

 ――軍で、どのような仕事をしたいですか。

「システム関連……」

 口に出してみる。

 今までの経験を生かしたい。

 通信。

 ロジスティック。

 インフラ。

 情報システム。

 それなら自然だ。

 でも。

 軍へ入ってまで、同じことをしたいのだろうか。

 理沙は少し眉を寄せた。

 別の技術分野へ進みたいのかもしれない。

 航空。

 宇宙。

 輸送。

 制御。

 募集要項には、いろいろな分野が書かれていた。

 どれも面白そうだった。

 しかし、それもまだ興味の段階だった。

     *

 ――将来、どのような士官になりたいですか。

 次の想定質問。

「部下を育てる……?」

 理沙は呟いた。

 シアトルで後任者へ仕事を教えたことは、面白かった。

 誰かができるようになる。

 自分がいなくても仕事が続く。

 それには、確かにやりがいがあった。

 でも。

 それなら、民間企業でもできる。

 理沙は寝返りを打った。

     *

 システムの仕事。

 新しい技術。

 人を育てる仕事。

 どれも嘘ではない。

 どれも自分がやってみたいことだった。

 けれど。

 何かが足りなかった。

 理沙は目を開いた。

 暗い部屋。

 天井がぼんやり見える。

「……そもそも」

 小さく呟いた。

「なんで軍なんだろう」

 その瞬間。

 頭の中が静かになった。

     *

 興味半分だった。

 本当に、それだけだった。

 仕事探しの画面で見つけた。

 珍しい求人だった。

 技術職。

 士官候補。

 国防総省。

 応募時点で米国籍を問わない。

 面白そうだから押した。

 落ちたら、それまで。

 そんな気持ちだった。

 それなのに。

 書類が通った。

 身体を鍛え始めた。

 本審査へ進んだ。

 明日、軍の士官と向き合う。

 理沙は毛布の上で腕を組んだ。

「……なんで?」

 もう一度、自分に聞いた。

     *

 安定した仕事が欲しいから。

 違う。

 民間にも仕事はある。

 給与がいいから。

 それだけでもない。

 技術を学びたいから。

 それなら他にも方法がある。

 新しいことをしたいから。

 たぶん、それはある。

 でも、それだけでは弱い。

 理沙は目を閉じた。

     *

 東京。

 歌。

 マリア・エレーナ。

 ロサンゼルス。

 交通管制センター。

 カーリー。

 シアトル。

 ダグラス。

 アトランタ。

 これまでの一年が、断片的に浮かんでは消える。

 自分は、何をしたいのだろう。

 何のために、次へ進もうとしているのだろう。

 小川を見送ったあと、夕日を見ながら考えたことまで、また頭へ戻ってきた。

 先へ進むたびに、何かを後ろへ残してきた。

 それでも。

 自分は、また新しい場所へ行こうとしている。

 なぜ。

     *

 時計を見る。

 午前零時を過ぎていた。

「寝ないと」

 目を閉じる。

 しばらくする。

 また目を開ける。

 1時。

 2時。

 眠ったような。

 眠っていないような。

 短い夢を見た気もした。

 何を見たのかは覚えていない。

 目を閉じるたび、質問が浮かぶ。

 ――なぜ軍なのですか。

 理沙は、そのたびに違う答えを考えた。

 どれも間違いではない。

 でも。

 どれも、しっくりこなかった。

     *

 やがて。

 カーテンの隙間が、わずかに明るくなった。

 理沙は目を開けた。

 時計を見る。

 起きる予定の時刻まで、あと20分。

「……もういいや」

 身体を起こした。

 眠気はある。

 頭の奥が少し重い。

 それでも、身体そのものは動いた。

 三週間以上続けてきた早起きのおかげかもしれない。

 理沙はベッドから降りた。

 水を飲む。

 シャワーを浴びる。

 髪を整える。

 服を着る。

     *

 鏡の前に立った。

 少し寝不足の顔。

 それでも、思っていたほどひどくはない。

「まあ……こんなものか」

 理沙は鏡の中の自分に言った。

 最後にバッグを確認する。

 通知書。

 身分証。

 書類。

 筆記具。

 すべて入っている。

     *

 部屋を出る前。

 理沙は一度だけ立ち止まった。

 昨夜。

 結局、一番大事な問いの答えは出なかった。

 軍で何をしたいのか。

 なぜ軍なのか。

 その答えを持たないまま、面談へ行く。

「……仕方ないか」

 小さく呟いた。

 無理に作った答えを言うよりは、その方がいいような気もした。

 理沙はドアを開けた。

 廊下へ出る。

 ドアが背後で閉まった。

 ロサンゼルスの朝が、始まっていた。



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