003_24_面談当日

 軍施設の入口には、予定より20分早く着いた。

 理沙は建物を見上げた。

 特別に威圧的な造りではない。

 低層の建物がいくつか並び、敷地内を軍用車両と普通の乗用車が行き来している。

 入口脇には警備員。

 少し離れた場所には、制服姿の人間が何人か歩いていた。

「……来ちゃったな」

 理沙は小さく呟いた。

 眠い。

 昨夜ほとんど眠れなかったせいで、頭の奥が少し重かった。

 それでも身体は動いている。

 身分証。

 通知書。

 必要書類。

 バッグの中をもう一度確認する。

 それから入口へ向かった。

     *

 受付では、通知書と身分証を提示した。

 顔写真。

 氏名。

 面談予約。

 一つずつ確認される。

「こちらへどうぞ」

 簡単な入場手続きを終えると、胸元につける一時入館証を渡された。

 職員に案内され、建物の中へ入る。

 廊下は静かだった。

 白い壁。

 ところどころに掲示板。

 小さな会議室。

 事務室。

 理沙が勝手に想像していた「軍施設」とは少し違う。

 もっと無機質で、緊張感のある場所だと思っていた。

 実際には、少し大きな会社のオフィスにも見える。

 ただ、すれ違う人間の服装だけが違った。

     *

 待合スペースへ通された。

 椅子に座る。

 時計を見る。

 開始まで、あと10分。

 理沙は脚を組みかけて、やめた。

 姿勢を戻す。

「……別に普通でいいか」

 小さく息を吐いた。

 バッグから面談資料を出そうとして、それもやめた。

 今さら読んでも仕方がない。

 昨夜、十分すぎるほど考えた。

 考えて、何もまとまらなかった。

 だったら、そのまま行くしかない。

     *

「大嶋理沙さん」

 名前を呼ばれた。

「はい」

 立ち上がる。

 案内された部屋へ入る。

     *

 会議室は、それほど広くなかった。

 中央に長方形のテーブル。

 椅子が数脚。

 窓にはブラインド。

 壁には大型のディスプレイが一台。

 その奥に、二人の男が座っていた。

 一人は、40代くらい。

 短く整えられた黒髪。

 穏やかな目。

 軍服ではない。

 薄い茶色のシャツに、黒いパンツ。

 胸元には身分証らしいカードがある。

 もう一人は、50歳前後。

 こちらは制服姿だった。

 短い黒髪。

 精悍な顔立ち。

 鋭いというより、よく人を見る目をしている。

 階級章は少佐。

 理沙が入ってきた瞬間から、こちらを見ていた。

「どうぞ」

 最初の男が椅子を示した。

「失礼します」

 理沙は座った。

     *

「私は、アレクセイ・ボルショフです」

 男が名乗った。

「現在、システム開発会社から軍の技術部門へ出向しています。今日は主に技術面と、これまでの職務経験について確認します」

「よろしくお願いします」

「こちらは、マーティン・クロスリー少佐」

 理沙はもう一人を見る。

「よろしく」

 クロスリーは短く言った。

「よろしくお願いします」

 それだけだった。

     *

 面談は、思っていたより普通に始まった。

「まず、これまでの職歴を簡単に説明してください」

 ボルショフが言った。

 理沙は答えた。

 日本でのシステム関連業務。

 ロサンゼルスの交通管制センター。

 シアトルの金融系システム。

 アトランタでの現地対応。

 詳しくなりすぎないように、要点だけを話す。

 ボルショフは時々メモを取った。

「交通管制センターでは、どの工程を担当しましたか」

「主に新センターの構築と試験です。機器設置後の接続確認、監視系の試験、それと切り替え前後の確認作業です」

「既存系との移行は?」

「夜間に行いました」

「切り替え失敗時の戻し手順は?」

 理沙は少し考える。

「事前に旧系へ戻す条件を決めていました。監視系、通信、オペレーションの三つの条件を見て、一定時間以内に安定しなければ旧系へ戻す予定でした」

「実際に戻しましたか」

「いいえ。切り替え自体は成功しました」

 ボルショフが頷く。

     *

 次はシアトル。

「要件変更への対応経験は?」

「あります」

「具体例を」

 理沙は、セキュリティ要件の変更について説明した。

 最初の案。

 現場への影響。

 過剰な制限。

 修正。

 再提出。

「その判断は、あなた一人で?」

「最初の案は私です。ただ、問題点を指摘したのは上司でした」

「その後は?」

「理由を確認して、修正しました」

「指摘されたことに納得できなかった場合は?」

「確認します」

「何を?」

「なぜその判断になるのか」

 ボルショフが少しだけ笑った。

「上司に逆らう?」

「理由が分からないまま進める方が怖いです」

「なるほど」

     *

 会話が進むにつれ、理沙の緊張は少しずつ解けていった。

 技術の話なら答えられる。

 分からないことは、分からないと言えばいい。

 それは今までの面接と変わらない。

 ただ。

 もう一人。

 クロスリー少佐だけが気になった。

     *

 彼は、ほとんど話さなかった。

 時々メモを取る。

 ボルショフの質問を聞く。

 理沙の答えを見る。

 そして、ときどき顔を上げる。

 そのたびに、理沙と目が合った。

 視線は厳しくない。

 睨んでいるわけでもない。

 ただ、長い。

「……何か変なこと言ったかな」

 理沙は一瞬そう思った。

 しかし、クロスリーは何も言わない。

 またメモへ戻る。

     *

「アトランタでは、予定外の現地派遣だったそうですね」

 ボルショフが聞いた。

「はい」

「なぜあなたが選ばれたと思いますか」

「……人が足りなかったから」

 思わず本音が出た。

 ボルショフが笑った。

「それだけ?」

 理沙も少し笑った。

「たぶん、それだけじゃないです」

「では?」

「現地のシステム構成を把握していたことと、シアトル側で要件調整をやっていたからだと思います」

「現地では、どんな判断をしましたか」

 理沙は答えた。

 搬入順序の変更。

 仮設ケーブルによる自動搬送経路の変更。

 予定外の機器配置。

 仕様変更。

 人員不足。

「機械に任せられない部分が多かった?」

「かなり」

「自動化されているのに?」

「自動化されているからこそ、予定外に弱いところもありました」

「その場合、人間は何をするべきだと思いますか」

 理沙は少し考えた。

「予定を守ることより、状況を見て順番を変えること」

「なぜ?」

「機械は、自分で優先順位を変えませんから」

 ボルショフが頷いた。

     *

 後進教育の話も出た。

「契約終了前に、一か月残ったそうですね」

「はい」

「なぜ?」

「今までやったことを、次の人に残しておきたかったからです」

「会社から命令された?」

「いいえ。自分からお願いしました」

「何を教えましたか」

「障害対応、要件変更、判断の仕方。あと、自分で調べること」

「答えを教えるのではなく?」

「最初は教えていました。でも、それだと私がいなくなったあと困るので」

「誰かにそう教わった?」

 理沙は少し間を置いた。

「上司に」

「厳しい人でした?」

「かなり」

 ボルショフが笑った。

「いい上司だったんですね」

 理沙も少し笑った。

「今なら、そう思います」

     *

 面談は淡々と進んだ。

 時計を見る余裕はなかったが、おそらく30分ほど経っていた。

 理沙は途中から、一つのことが気になり始めた。

 昨夜。

 あれほど考えた質問。

 ――軍で何をしたいのか。

 ――なぜ軍なのか。

 いつ出るのだろう。

 ボルショフが次の資料へ目を移すたび、理沙は少し身構えた。

 しかし。

 質問されない。

     *

「最後に、入学後の進路について説明しておきます」

 ボルショフが言った。

 理沙は姿勢を正した。

「士官学校を卒業したからといって、最初から希望した部署へ配属されるとは限りません」

「はい」

「軍は、基本的に任務によって動きます」

 ボルショフは淡々と続けた。

「最初の配属先は、本人の希望よりも、その時点で必要とされる任務、適性、専門性が優先されます」

「分かりました」

「ただし、その後の経験や評価、本人の希望によって、専門分野を変えたり、転属したりする機会はあります」

「はい」

「ですから、今の段階で将来の職種を一つに決めておく必要はありません」

 理沙は一瞬、黙った。

「……そうなんですね」

「何か?」

「いえ」

 思わず笑いそうになった。

 昨日。

 あれだけ考えた。

 システム。

 新技術。

 部下育成。

 どれをやりたいのか。

 どう答えるのか。

 ほとんど眠れなかった。

 それなのに。

 聞かれなかった。

「昨日あんなに考えたのに」

 心の中で呟く。

 少し拍子抜けした。

 同時に、少しだけ安心した。

     *

「私からは以上です」

 ボルショフが資料を閉じた。

 理沙も小さく息を吐いた。

 終わった。

 そう思った。

 そのとき。

「では、私から一つ」

 クロスリー少佐が初めてはっきりと口を開いた。

 理沙は顔を上げた。

     *

 クロスリーは、それまで手元に置いていたペンを机へ置いた。

「先に、私の仕事を少し説明しておこう」

 低い声だった。

 穏やかではある。

 ただ、ボルショフとは話し方が少し違う。

 一つずつ言葉を選ぶ。

「私は現在、軍のロジスティックシステム開発に関わっている」

 理沙は黙って聞いた。

「軍隊は、戦闘部隊だけでは動かない」

 クロスリーは続けた。

「人間を送る。食料を送る。燃料を送る。部品を送る。壊れたものを回収する」

 一度、言葉を止める。

「それができなければ、どれほど優れた部隊でも、その場所では何もできない」

「はい」

「地上だけなら、まだ考えやすい」

 クロスリーは机の上に指を置いた。

「道路。鉄道。航空。海上輸送」

 そして少し顔を上げる。

「しかし、活動範囲が地球の外へ広がれば、話は変わる」

     *

 理沙はクロスリーの顔を見た。

「地球周回軌道には、すでに恒常的な施設がある」

 クロスリーが言う。

「月にも拠点がある。火星にも、新しい基地の建設が進んでいる」

 理沙は頷いた。

 ニュースで見たことがある。

 宇宙開発そのものは、もう珍しい話ではない。

 ただ。

 それを軍の物流という視点から考えたことはなかった。

「人間が行く場所には、必ず物が必要になる」

 クロスリーは言った。

「食べるもの。水。機械。交換部品。通信機器。医療用品」

「はい」

「そして、そこに社会ができれば、軍もまたその一部になる」

 理沙は少しだけ眉を動かした。

「秩序を維持するためですか」

 クロスリーが理沙を見る。

「それもある」

 短く答えた。

「しかし重要なのは、行けることではない」

「……?」

「継続して届けられることだ」

 クロスリーの声は変わらなかった。

「一度だけ人間を送り込むことはできる。だが、そこへ人が住み続けるなら、物流は止められない」

 理沙は黙っていた。

     *

「これから輸送技術が進歩すれば」

 クロスリーは続けた。

「活動範囲はさらに広がる」

 地球。

 月。

 火星。

 その先。

 理沙の頭の中に、太陽系の図がぼんやり浮かんだ。

 子供のころ、学校で見たもの。

 水星。

 金星。

 地球。

 火星。

 木星。

 土星。

 その先。

「今は遠すぎる場所も、将来はそうではなくなるかもしれない」

 クロスリーは言った。

「輸送速度も変わる。推進技術も変わる。資源の利用方法も変わる」

 そして。

 少しだけ身体を前へ寄せた。

     *

「大嶋さん」

「はい」

「これは知識試験ではない」

 理沙はクロスリーを見る。

「正解も、一つとは限らない」

 その言葉で、逆に緊張した。

「科学技術がさらに進歩し、惑星間輸送が今よりずっと日常的になったと仮定しよう」

「はい」

「そのとき」

 クロスリーが一度、言葉を切った。

「太陽系の物流において、将来、要所となる可能性があるのはどの惑星だと思う?」

     *

 理沙は瞬きをした。

 一瞬。

 何を聞かれたのか分からなかった。

 昨夜、何度も想像した質問。

 志望動機。

 技術経験。

 将来像。

 そのどれでもない。

「……惑星、ですか?」

「ああ」

 クロスリーはそれだけ答えた。

 ボルショフも何も言わない。

 二人とも理沙を見ている。

     *

 理沙は机の上へ視線を落とした。

 地球ではない。

 そういう意味だろう。

 火星。

 木星。

 土星。

 距離。

 重力。

 資源。

 衛星。

 人が住めるかどうか。

 輸送経路。

 頭の中に、ばらばらの言葉が浮かぶ。

 理沙は顔を上げた。

 クロスリー少佐は、答えを待っていた。

 正解を知っている人間の顔には見えなかった。

 むしろ。

 理沙が、どこから考え始めるのか。

 それを見ようとしているようだった。

 理沙は小さく息を吸った。

 そして、もう一度だけ頭の中に太陽系を思い浮かべた。



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