軍施設の入口には、予定より20分早く着いた。
理沙は建物を見上げた。
特別に威圧的な造りではない。
低層の建物がいくつか並び、敷地内を軍用車両と普通の乗用車が行き来している。
入口脇には警備員。
少し離れた場所には、制服姿の人間が何人か歩いていた。
「……来ちゃったな」
理沙は小さく呟いた。
眠い。
昨夜ほとんど眠れなかったせいで、頭の奥が少し重かった。
それでも身体は動いている。
身分証。
通知書。
必要書類。
バッグの中をもう一度確認する。
それから入口へ向かった。
*
受付では、通知書と身分証を提示した。
顔写真。
氏名。
面談予約。
一つずつ確認される。
「こちらへどうぞ」
簡単な入場手続きを終えると、胸元につける一時入館証を渡された。
職員に案内され、建物の中へ入る。
廊下は静かだった。
白い壁。
ところどころに掲示板。
小さな会議室。
事務室。
理沙が勝手に想像していた「軍施設」とは少し違う。
もっと無機質で、緊張感のある場所だと思っていた。
実際には、少し大きな会社のオフィスにも見える。
ただ、すれ違う人間の服装だけが違った。
*
待合スペースへ通された。
椅子に座る。
時計を見る。
開始まで、あと10分。
理沙は脚を組みかけて、やめた。
姿勢を戻す。
「……別に普通でいいか」
小さく息を吐いた。
バッグから面談資料を出そうとして、それもやめた。
今さら読んでも仕方がない。
昨夜、十分すぎるほど考えた。
考えて、何もまとまらなかった。
だったら、そのまま行くしかない。
*
「大嶋理沙さん」
名前を呼ばれた。
「はい」
立ち上がる。
案内された部屋へ入る。
*
会議室は、それほど広くなかった。
中央に長方形のテーブル。
椅子が数脚。
窓にはブラインド。
壁には大型のディスプレイが一台。
その奥に、二人の男が座っていた。
一人は、40代くらい。
短く整えられた黒髪。
穏やかな目。
軍服ではない。
薄い茶色のシャツに、黒いパンツ。
胸元には身分証らしいカードがある。
もう一人は、50歳前後。
こちらは制服姿だった。
短い黒髪。
精悍な顔立ち。
鋭いというより、よく人を見る目をしている。
階級章は少佐。
理沙が入ってきた瞬間から、こちらを見ていた。
「どうぞ」
最初の男が椅子を示した。
「失礼します」
理沙は座った。
*
「私は、アレクセイ・ボルショフです」
男が名乗った。
「現在、システム開発会社から軍の技術部門へ出向しています。今日は主に技術面と、これまでの職務経験について確認します」
「よろしくお願いします」
「こちらは、マーティン・クロスリー少佐」
理沙はもう一人を見る。
「よろしく」
クロスリーは短く言った。
「よろしくお願いします」
それだけだった。
*
面談は、思っていたより普通に始まった。
「まず、これまでの職歴を簡単に説明してください」
ボルショフが言った。
理沙は答えた。
日本でのシステム関連業務。
ロサンゼルスの交通管制センター。
シアトルの金融系システム。
アトランタでの現地対応。
詳しくなりすぎないように、要点だけを話す。
ボルショフは時々メモを取った。
「交通管制センターでは、どの工程を担当しましたか」
「主に新センターの構築と試験です。機器設置後の接続確認、監視系の試験、それと切り替え前後の確認作業です」
「既存系との移行は?」
「夜間に行いました」
「切り替え失敗時の戻し手順は?」
理沙は少し考える。
「事前に旧系へ戻す条件を決めていました。監視系、通信、オペレーションの三つの条件を見て、一定時間以内に安定しなければ旧系へ戻す予定でした」
「実際に戻しましたか」
「いいえ。切り替え自体は成功しました」
ボルショフが頷く。
*
次はシアトル。
「要件変更への対応経験は?」
「あります」
「具体例を」
理沙は、セキュリティ要件の変更について説明した。
最初の案。
現場への影響。
過剰な制限。
修正。
再提出。
「その判断は、あなた一人で?」
「最初の案は私です。ただ、問題点を指摘したのは上司でした」
「その後は?」
「理由を確認して、修正しました」
「指摘されたことに納得できなかった場合は?」
「確認します」
「何を?」
「なぜその判断になるのか」
ボルショフが少しだけ笑った。
「上司に逆らう?」
「理由が分からないまま進める方が怖いです」
「なるほど」
*
会話が進むにつれ、理沙の緊張は少しずつ解けていった。
技術の話なら答えられる。
分からないことは、分からないと言えばいい。
それは今までの面接と変わらない。
ただ。
もう一人。
クロスリー少佐だけが気になった。
*
彼は、ほとんど話さなかった。
時々メモを取る。
ボルショフの質問を聞く。
理沙の答えを見る。
そして、ときどき顔を上げる。
そのたびに、理沙と目が合った。
視線は厳しくない。
睨んでいるわけでもない。
ただ、長い。
「……何か変なこと言ったかな」
理沙は一瞬そう思った。
しかし、クロスリーは何も言わない。
またメモへ戻る。
*
「アトランタでは、予定外の現地派遣だったそうですね」
ボルショフが聞いた。
「はい」
「なぜあなたが選ばれたと思いますか」
「……人が足りなかったから」
思わず本音が出た。
ボルショフが笑った。
「それだけ?」
理沙も少し笑った。
「たぶん、それだけじゃないです」
「では?」
「現地のシステム構成を把握していたことと、シアトル側で要件調整をやっていたからだと思います」
「現地では、どんな判断をしましたか」
理沙は答えた。
搬入順序の変更。
仮設ケーブルによる自動搬送経路の変更。
予定外の機器配置。
仕様変更。
人員不足。
「機械に任せられない部分が多かった?」
「かなり」
「自動化されているのに?」
「自動化されているからこそ、予定外に弱いところもありました」
「その場合、人間は何をするべきだと思いますか」
理沙は少し考えた。
「予定を守ることより、状況を見て順番を変えること」
「なぜ?」
「機械は、自分で優先順位を変えませんから」
ボルショフが頷いた。
*
後進教育の話も出た。
「契約終了前に、一か月残ったそうですね」
「はい」
「なぜ?」
「今までやったことを、次の人に残しておきたかったからです」
「会社から命令された?」
「いいえ。自分からお願いしました」
「何を教えましたか」
「障害対応、要件変更、判断の仕方。あと、自分で調べること」
「答えを教えるのではなく?」
「最初は教えていました。でも、それだと私がいなくなったあと困るので」
「誰かにそう教わった?」
理沙は少し間を置いた。
「上司に」
「厳しい人でした?」
「かなり」
ボルショフが笑った。
「いい上司だったんですね」
理沙も少し笑った。
「今なら、そう思います」
*
面談は淡々と進んだ。
時計を見る余裕はなかったが、おそらく30分ほど経っていた。
理沙は途中から、一つのことが気になり始めた。
昨夜。
あれほど考えた質問。
――軍で何をしたいのか。
――なぜ軍なのか。
いつ出るのだろう。
ボルショフが次の資料へ目を移すたび、理沙は少し身構えた。
しかし。
質問されない。
*
「最後に、入学後の進路について説明しておきます」
ボルショフが言った。
理沙は姿勢を正した。
「士官学校を卒業したからといって、最初から希望した部署へ配属されるとは限りません」
「はい」
「軍は、基本的に任務によって動きます」
ボルショフは淡々と続けた。
「最初の配属先は、本人の希望よりも、その時点で必要とされる任務、適性、専門性が優先されます」
「分かりました」
「ただし、その後の経験や評価、本人の希望によって、専門分野を変えたり、転属したりする機会はあります」
「はい」
「ですから、今の段階で将来の職種を一つに決めておく必要はありません」
理沙は一瞬、黙った。
「……そうなんですね」
「何か?」
「いえ」
思わず笑いそうになった。
昨日。
あれだけ考えた。
システム。
新技術。
部下育成。
どれをやりたいのか。
どう答えるのか。
ほとんど眠れなかった。
それなのに。
聞かれなかった。
「昨日あんなに考えたのに」
心の中で呟く。
少し拍子抜けした。
同時に、少しだけ安心した。
*
「私からは以上です」
ボルショフが資料を閉じた。
理沙も小さく息を吐いた。
終わった。
そう思った。
そのとき。
「では、私から一つ」
クロスリー少佐が初めてはっきりと口を開いた。
理沙は顔を上げた。
*
クロスリーは、それまで手元に置いていたペンを机へ置いた。
「先に、私の仕事を少し説明しておこう」
低い声だった。
穏やかではある。
ただ、ボルショフとは話し方が少し違う。
一つずつ言葉を選ぶ。
「私は現在、軍のロジスティックシステム開発に関わっている」
理沙は黙って聞いた。
「軍隊は、戦闘部隊だけでは動かない」
クロスリーは続けた。
「人間を送る。食料を送る。燃料を送る。部品を送る。壊れたものを回収する」
一度、言葉を止める。
「それができなければ、どれほど優れた部隊でも、その場所では何もできない」
「はい」
「地上だけなら、まだ考えやすい」
クロスリーは机の上に指を置いた。
「道路。鉄道。航空。海上輸送」
そして少し顔を上げる。
「しかし、活動範囲が地球の外へ広がれば、話は変わる」
*
理沙はクロスリーの顔を見た。
「地球周回軌道には、すでに恒常的な施設がある」
クロスリーが言う。
「月にも拠点がある。火星にも、新しい基地の建設が進んでいる」
理沙は頷いた。
ニュースで見たことがある。
宇宙開発そのものは、もう珍しい話ではない。
ただ。
それを軍の物流という視点から考えたことはなかった。
「人間が行く場所には、必ず物が必要になる」
クロスリーは言った。
「食べるもの。水。機械。交換部品。通信機器。医療用品」
「はい」
「そして、そこに社会ができれば、軍もまたその一部になる」
理沙は少しだけ眉を動かした。
「秩序を維持するためですか」
クロスリーが理沙を見る。
「それもある」
短く答えた。
「しかし重要なのは、行けることではない」
「……?」
「継続して届けられることだ」
クロスリーの声は変わらなかった。
「一度だけ人間を送り込むことはできる。だが、そこへ人が住み続けるなら、物流は止められない」
理沙は黙っていた。
*
「これから輸送技術が進歩すれば」
クロスリーは続けた。
「活動範囲はさらに広がる」
地球。
月。
火星。
その先。
理沙の頭の中に、太陽系の図がぼんやり浮かんだ。
子供のころ、学校で見たもの。
水星。
金星。
地球。
火星。
木星。
土星。
その先。
「今は遠すぎる場所も、将来はそうではなくなるかもしれない」
クロスリーは言った。
「輸送速度も変わる。推進技術も変わる。資源の利用方法も変わる」
そして。
少しだけ身体を前へ寄せた。
*
「大嶋さん」
「はい」
「これは知識試験ではない」
理沙はクロスリーを見る。
「正解も、一つとは限らない」
その言葉で、逆に緊張した。
「科学技術がさらに進歩し、惑星間輸送が今よりずっと日常的になったと仮定しよう」
「はい」
「そのとき」
クロスリーが一度、言葉を切った。
「太陽系の物流において、将来、要所となる可能性があるのはどの惑星だと思う?」
*
理沙は瞬きをした。
一瞬。
何を聞かれたのか分からなかった。
昨夜、何度も想像した質問。
志望動機。
技術経験。
将来像。
そのどれでもない。
「……惑星、ですか?」
「ああ」
クロスリーはそれだけ答えた。
ボルショフも何も言わない。
二人とも理沙を見ている。
*
理沙は机の上へ視線を落とした。
地球ではない。
そういう意味だろう。
火星。
木星。
土星。
距離。
重力。
資源。
衛星。
人が住めるかどうか。
輸送経路。
頭の中に、ばらばらの言葉が浮かぶ。
理沙は顔を上げた。
クロスリー少佐は、答えを待っていた。
正解を知っている人間の顔には見えなかった。
むしろ。
理沙が、どこから考え始めるのか。
それを見ようとしているようだった。
理沙は小さく息を吸った。
そして、もう一度だけ頭の中に太陽系を思い浮かべた。
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