減速Gが、ゆっくりと、しかし確実に強くなっていく。
シートに預けた身体が、次第に沈み込むように押し付けられていくのが分かる。
耳を澄ませるまでもなく、船体のどこかが軋むような低い音が、中央通路の奥から伝わってきた。
構造材が力を受け止めている音だった。
理沙は目の前のディスプレイに視線を固定したまま、船外カメラの映像を確認する。
後方に映るのは、木星上層大気との摩擦によって生じた光の帯。
その中心に、ブレーキシールドが黒い円として浮かび上がっている。
まるで日食のとき、太陽を覆い隠す月の影のように、激しく流れる炎を遮る輪郭だけがくっきりと見えていた。
シールドを下ろしているにもかかわらず、その外側で揺らめく光は強く、部屋の中まで明るく照らし出している。
赤とも橙ともつかない光が、壁や床の色をわずかに変えていく。
その光景を見ているうちに、理沙の感覚がわずかにずれ始めた。
まるで、自分自身が炎に包まれているかのような錯覚。
周囲から伝わる振動と、一定のリズムで続く低い騒音、そして身体を押さえつける減速G。
そのすべてが重なり、現在の状況と、記憶の中にある別の出来事とを、ゆっくりと重ね合わせていく。
あの時も、同じように声が聞こえていた。
<すべて順調、異常なし>
機長の声だった。
落ち着いた、抑揚のない報告。状況をそのまま読み上げるだけの声。
視界の中には、大きく発達した積乱雲が広がっていた。
空港の周囲を覆うように立ち込めている。
しかし、その一部にわずかな切れ目があり、その隙間から滑走路が見えていた。一直線に伸びるそのラインは、はっきりと認識できる。
小型のシャトルは、その切れ目を狙うようにして急降下していく。
速度が増していく感覚。機体の振動。
すべてが現実として続いていた。
滑走路の先端に達する。
距離は十分にある。このまま降りれば問題はない――そう思えた、その瞬間。
呼吸が浅くなる。
減速Gは、計算された範囲内の値であるはずだった。
余裕を持って設計されている。理屈では、何も問題はない。
しかし、身体は違う反応を示していた。
胸が締め付けられるように苦しい。
腕も脚も、思うように動かせない。視界の端がわずかに歪む。
気づけば、理沙の身体はシートとシートの間に押し込まれるような形になっていた。
どうしてそうなったのかは分からない。ただ、身体の位置がずれていることだけが分かる。
着陸の瞬間、上下の感覚が反転したような違和感があった。
天地がひっくり返ったような、短い浮遊感。
そのあとが続かない。
記憶は、そこで途切れている。
次に浮かび上がるのは、炎だった。
機体全体を包み込むように揺らめく光。熱を伴う色。炎は、すぐそこまで迫っていた。
距離の感覚が曖昧なまま、それだけが強く意識に残る。
視界の外側には、滑走路脇に停車した消防車両の影が見える。
複数の車両。点滅する光。誰かが走っている。
窓の外側から、何かが叩きつけられる音。
救助隊が、外から侵入しようとしているのが分かる。ガラスが割れる寸前の振動。
早く――
助けて。
その言葉が形になる前に、視界が途切れた。
理沙は瞬きをした。
目の前には、「エンデヴァー」の個室の天井がある。
照明は赤いままだったが、先ほどまでの光とは質が違う。
減速Gはまだ続いているが、その強さはすでにピークを越えているのが分かる。
身体にかかる負荷は緩やかに減少していた。
ディスプレイに映る船外の光も、わずかに弱まっている。
炎の帯はまだ存在しているが、勢いは落ち着き始めていた。速度は確実に低下している。
耳を澄ますと、先ほどまで聞こえていた船体の軋み音も、徐々に収まってきている。
「大気ブレーキ終了」
アルヴィンの声が、開始時と同じ調子で流れた。
感情の揺れは感じられない。いつも通りの報告だった。
「船体に特に異常なし。非常警戒モード解除」
その宣言とともに、船内の緊張がわずかに緩む。
理沙はシートベルトを外し、ゆっくりと身体を起こした。
肺いっぱいに空気を吸い込み、長く吐き出す。呼吸を整える。
立ち上がり、部屋のドアを開ける。
ちょうど同じタイミングで、隣の区画からイライザとブレントが出てくるところだった。
2人とも額にうっすらと汗を浮かべており、わずかに疲労の色が見える。
だが、それ以上の異常はない。
誰も言葉を交わさなかった。
それぞれが無言のまま、次の行動へと移っていく。
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