いったんは張り詰めていた会議室の空気がわずかに緩んだ。
しかし、原子力ラムジェット機を残すと船長が口にした一言で、会議室の空気は再び静かに凍りつく。
ブレントがわずかに戸惑った表情を見せる。
彼の中で、いまの決断と次の行動がどう結びつくのか、まだ整理しきれていないようだった。
レイラも同様に、その意図を測りかねているのか、慎重な声で船長に問いかける。
「その意図は?」
船長は、少しも間を置かずに答えた。
「土星で、木星大気突入のリハーサルを行う」
その言葉はあまりにも自然で、あたかも最初からそのつもりだったかのように聞こえた。
数秒の沈黙のあと、イライザが小さく息を吐く。
「なるほどね……」
その一言で、空気が再びほどける。
無理のある計画を、別の意味で整合させた――そんな理解が、言葉にせずとも共有されたようだった。
以降の決定は早かった。
土星への出発は5日後に設定され、船長とレイラがFSDDとの窓口となって調整を進めることが決まる。
他の10人は、それぞれの担当に従い、土星への出発準備に取りかかる。
会議室に残っていた人々は、ほとんど言葉を交わすことなく立ち上がり、それぞれの持ち場へと戻っていった。
会議が終わり、人がまばらになったところで、理沙は船長に呼び止められた。
振り返ると、既にレイラとブルーノが席に残っている。結果的に、4人だけが会議室に残る形になった。
「何でしょうか?」
理沙は、席に座ったままの船長に向き直って尋ねる。
船長はすぐには答えず、一度視線を落とし、ゆっくりと顔を上げた。
「勝ち目は……ないと思う」
その言葉は、誰に向けたものでもないように聞こえた。
事実を確認するような、独り言に近い響きだった。
隣に座るレイラが、わずかに眉をひそめる。明らかに不満を含んだ表情だったが、何も言わない。
船長は続ける。
「とはいえ、いちおう理沙にも訊いておきたいと思って」
言葉を選びながら、慎重に切り出す。
「推進システムの、性能アップについてだが」
理沙はすぐには答えなかった。
視線をわずかに落とし、思考を巡らせる。
船長とレイラ、2人の視線が自分に集中しているのを感じながら、短く息を整える。
やがて顔を上げると、理沙はほんの一瞬だけ目を閉じた。
「No、ですね」
言葉は短く、迷いもなかった。
そのあと、レイラが何かを問い返してくるだろうと理沙は思った。
しかし、レイラはすぐには口を開かなかった。沈黙が続く。数秒か、それとももっと長い時間だったのか、正確には分からない。
やがてレイラは、理沙ではなく船長の方を見て言った。
「ですよね」
それだけだった。
それで十分だった。
会話はそこで終わる。
理沙とブルーノは席を立ち、それぞれの作業に戻る準備を始める。
一方で船長とレイラは、そのまま残り、FSDD長官への返答の作成に取りかかった。
入力されていく文章は、余計な修飾を削ぎ落とした、必要最低限の内容だった。
やがて返答が送信される。
そのあとの管制室側の動きは早かった。
まるでこの展開を予期していたかのように、乗組員からのリクエストに対して迅速に対応が返ってくる。
ブレントのプランはさらに精緻化され、同時にリスク評価が進められ、航海プランへと反映されていく。
並行して、機材類の一時的投棄に向けた準備も進行していた。
「一時的投棄」という表現を、デイビッドはどうも気に入らなかったらしい。
管制室とのやり取りの中で、いつの間にかその言葉は「継続調査ミッション」という呼び方に置き換えられていた。
言葉が変わったところで現実が変わるわけではないが、それでも、誰もあえて元の言い方に戻そうとはしなかった。
準備は、予定通り進んだ。
会議から5日後、「エンデヴァー」は土星へ向かうための出発準備を整える。
勝ち目はないが。
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