008_24_眩暈(2)

タイタンに着陸して5日目。

3人は予定されていた作業を粛々とこなしていた。
滞在期間は残り2日。帰還準備も含め、スケジュールにはほとんど余裕がない。

エドガーとデイビッドは、引き続き船外で気象観測装置の設置作業を続けている。
タイタン特有の大気流動を長期間観測するため、複数の観測機器を一定距離ごとに配置していた。

一方メリッサは、着陸船内で出発前点検を進めていた。
「エンデヴァー」のコクピットでは、理沙が共有コンソールを開き、着陸船側のシステム状態を確認している。

「酸素二系、圧力正常」

理沙がチェックリストを読み上げる。

「酸素二系、正常」

通信越しに、メリッサが復唱する。

「推進剤加圧ライン、ステータス確認」

「正常」

淡々と作業は進む。
普段通りの点検。普段通りの返答。
だが、酸素/推進剤タンク与圧系の項目に入ったところで、理沙はふと違和感を覚えた。

ほんのわずかな間。返答が、いつもより遅い。
それだけだった。

通信状態が悪いわけでもない。ノイズもない。メリッサの声色も、特に変わらない。
理沙は数秒だけ考えたが、そのままチェックリストの読み上げを続けた。

「酸素一系、与圧確認」

「……正常」

やはり少し遅い。
しかし、異常と言い切れるほどではない。
タンク与圧系の確認が終わったところで、理沙は一度作業を区切ることにした。

「いったん休憩しましょうか」

返事はなかった。
理沙は共有画面へ目を向けたまま、脇に置いていたコーヒーを手に取る。
着陸船側のステータス表示は、まだすべて正常のままだった。

その時だった。

画面片隅のヘルスチェックモニターで、メリッサのステータス表示が黄色へ変化した。
短いアラート音。
理沙は、コーヒーを口に運びかけたまま動きを止めた。

「どうかしたの?」

返事はない。
理沙はすぐに共有画面の表示を切り替え、着陸船コクピット側のモニター映像へ接続しようとする。

しかし――接続できない。

画面にはロック表示。そんなはずはない。
理沙は眉をひそめ、再び呼びかける。

「メリッサ?」

応答なし。

次の瞬間、共有画面上の表示が変化した。
酸素一系。そのステータス欄に表示された文字。

[Eject]

理沙の表情が変わる。
液体酸素供給/放出バルブが開放され、酸素放出が始まっていた。
残量表示が急激に低下していく。

「メリッサ!」

理沙は呼びかけながら、別回線で船長を呼び出す。

「船長、緊急事態です」

同時に、船外活動中のエドガーとデイビッドにも通信を送る。

「作業中断。直ちに着陸船へ戻って」

理沙自身の声は落ち着いていた。
だが、呼吸だけが少し浅くなっている。
酸素一系の残量表示は、その間にもゼロへ向かって落ち続ける。

数字が、目に見える速度で減っていく。残量ゼロまであとわずか。
その時、ようやく通信回線越しにメリッサの声が返ってきた。

「これって、どういうこと?」

焦った声だった。

直後、酸素放出が停止する。
ロックされていた映像回線が回復し、モニターにメリッサの姿が映し出された。

憔悴していた。
呼吸が乱れている。
何が起きたのか、自分でも理解できていない表情。

理沙は意識的に声を落ち着かせた。

「とりあえず、落ち着いて」

感情を刺激しないよう、慎重に言葉を選ぶ。

「現在の状態を確認したい。ゆっくりでいいから」

メリッサは何度か深呼吸しながら、目の前のコンソールを確認する。

酸素一系、残量ほぼゼロ。
しかし、なぜ放出が始まったのか。
その原因について、彼女自身は把握できていなかった。

やがて、船長がコクピットへ入ってくる。

理沙の背後から、画面越しにメリッサを確認しようとした。
だが理沙は、振り返らないまま片手で制した。

今はまだ、刺激を増やしたくない。
その意図を察したのか、船長は何も言わず後ろで立ち止まる。

理沙は、メリッサとの会話を続けた。

システム状態。
身体状態。
操作記録。

ひとつずつ確認していく。
ようやく最低限の状況整理が終わったところで、理沙は静かに言った。

「ちょっと、船長と相談します」

そのあとエドガーとデイビッドへ回線を切り替える。

「メリッサには、少し休憩してもらって」

2人は事情を完全には理解していない様子だったが、短く了解を返した。
その間も理沙は、モニター画面から目を離さなかった。



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