船長から、静かなゴーサインが出た。
しかし、誰も言葉を発しなかった。
会議室、コクピット、制御室、そしてタイタン地表。
それぞれ別の場所にいる乗組員たちは、ただ目の前の画面を見つめていた。
イライザが原子力ラムジェット機の起動シーケンスを実行する。
ディスプレイ上で、各システムの状態表示が順番に緑へ変わっていく。
「では出発」
彼女の声は落ち着いていた。
次の瞬間、原子力ラムジェット機は「エンデヴァー」から切り離され、ゆっくりとタイタンへ向けて降下を開始する。
すでに手順は確定している。
ここから先は、決められたシーケンスを進めるだけだった。
会議室のディスプレイには、タイタン大気へ降下していく原子力ラムジェット機の外部映像と、各種テレメトリが映し出されている。
誰も声を出さない。
今さら確認すべきこともない。ただ、見守るしかなかった。
一方、タイタン地表。
着陸船内部でも、3人が同じ映像を見つめていた。
コンソール中央に、出発までのカウントダウン表示が現れる。
不測の事態に備え、三人とも船外活動用の気密服を着込み、シートへ深く身体を沈めていた。
ヘルメット越しの呼吸音だけが、小さく船内に響いている。
待つだけだった。誰も無駄なことは言わない。
やがて、メリッサが静かに口を開く。
「2分前」
それだけだった。
着陸船側も、操作の大半は自動シーケンス化されている。
決められたタイミングでエンジンを点火し、決められた角度で上昇する。
あとは、その結果を受け入れるしかない。
カウントダウン表示が残り1分を切る。
わずかな間。
「こちらも準備完了」
そう言ったあと、メリッサは静かに深呼吸した。
隣席のデイビッドと視線が合う。
お互い、小さくうなずく。余計な言葉は必要なかった。
カウントゼロ。
着陸船の主エンジンが点火される。
鈍い振動とともに、着陸船はタイタン地表を離れた。
イライザも、メリッサも、今は同じ画面を見ている。
タイタン大気へ降下を続ける原子力ラムジェット機。それに向かって上昇する着陸船。
そして、急速に減少していく推進剤残量。
数値は、まるで吸い込まれるようにゼロへ近づいていく。
上昇速度は十分に出ていた。予定値も維持している。
このまま行けるのではないか。
そんな錯覚すら覚え始めた、その瞬間だった。
船外カメラ映像の中で、着陸船は雲層を抜ける。
視界が開ける。
後方遥か彼方に、小さな黒い影。
最初は点にしか見えなかったそれが、急速に大きくなっていく。
原子力ラムジェット機。
両機が、タイタン大気中で合流する。
着陸船側では、推進剤残量がほぼ限界に近づき、自動出力制御が始まっていた。
原子力ラムジェット機が、着陸船の下側へ回り込む。
ゆっくりと。
慎重に。
まるで、空中で停止しているような精度で。
やがて、真下で静止した。
2機は、お互いの位置をミリ単位で修正しながら接近していく。
残り5メートル。
時間が止まったように感じられた。誰も呼吸をしていないような錯覚。
着陸船が最後の噴射を行う。
もし、ここで位置がずれれば終わる。
4つのハードポイント位置一致を確認。
ほんのわずかな間。
メリッサが言う。
「エンジン停止」
次の瞬間。
着陸船に、ごく小さな衝撃が伝わった。
ロック確認。
1か所。
2か所。
3か所。
4か所。
すべて正常固定。
「こちらも確認、フルパワー推進開始します」
イライザが言い終える前に、着陸船内部の3人は、新しい加速Gを感じ始めていた。
緩やかだが、力強い加速。
原子力ラムジェット推進システムが最大推力へ入る。
船内放射線モニター値が、わずかに上昇する。
だが、まだ許容範囲内だった。
メリッサが表示を確認しながら言う。
「加速を継続中」
「エンデヴァー」会議室。
理沙は、船長とレイラと並んでディスプレイを見つめていた。
あと少し。
その“あと少し”が、どこまでも遠く感じられた。
3人とも無言だった。
まだ。
まだ終わってはいない。
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