008_29_野望と覚悟(1)

土星到着以降の半年間は、乗組員たちにとって、慌ただしさの中にも奇妙な静けさのある日々だった。

「エンデヴァー」はタイタン低軌道と土星周回軌道を往復しながら、予定されていた調査をひとつずつ消化してゆく。
タイタンでは約2か月間にわたり、将来の基地建設を想定した精密地表観測が続けられた。
タイタン表面に設置した観測機器と「エンデヴァー」との間で観測データがやり取りされ、タイタンの地盤構造、気象変化の記録が蓄積されてゆく。
やがてタイタンでの作業を終えると、「エンデヴァー」は再び土星周回軌道へ移動し、巨大なガス惑星そのものの調査へと移行した。

土星の精密レーダー観測では、厚い雲の内部を解析し、気流と雲の流れを立体的に再構成するモデルデータの作成が進められた。
壁面ディスプレイに表示される流体シミュレーションは、巨大な渦が幾重にも重なり合い、まるで生き物の断面図のようにも見えた。
また、「エンデヴァー」は土星の環にも慎重に接近し、氷粒子のサンプル採取を実施した。
回収された氷から不純物を分離し、飲料水や推進剤補助剤への転用可能性を分析する作業も進められた。
作業そのものは淡々としていたが、乗組員たちは皆、この一つ一つの結果が、将来の外惑星開発の基盤になってゆくことを理解していた。

ただ一つ、予定通りには進まなかったものがあった。

原子力ラムジェット機による土星大気突入テストである。

タイタン救出作戦後、ブレントとアルヴィンを中心に機体の詳細点検が進められていたが、やがて深刻な損傷が見つかった。
耐熱材を剥がしてハードポイント金具を追加した部分では、翼表面に熱変形が発生していた。
さらに、着陸船の重量を支えながら飛行した影響で、内部構造材にも想定以上の疲労が蓄積していた。

会議室でその報告を聞いたとき、誰もしばらく言葉を返せなかった。

壁面ディスプレイには、損傷箇所を示す断面図が静かに表示されている。
ブレント自身も、どこか申し訳なさそうな表情を浮かべていた。

「……おそらく、大規模な修繕が必要になります」

その声だけが、静かな会議室に響いた。

結局、原子力ラムジェット機による土星大気突入テストは中止となった。
次回航海まで保留。
もっとも、その“次回”が本当に存在するかどうかは、誰にも分からなかった。

理沙と地球側の上司との定期報告でも、メリッサの件について語られることは次第に減っていった。
あの事故は、組織として“処理済み”になりつつあった。
その代わり、再び話題の中心になったのは中国の動向だった。

しかし、もはや「長征」の現在位置や、探査競争そのものではない。

もっと大きな何か。

地球全体を巻き込み始めている、政治と資源を巡る不穏な空気。
断片的に届くニュース映像や、地球との通信のわずかな言葉の端々から、乗組員たちもそれを感じ取っていた。
誰もはっきりとは口にしない。それでも、皆どこか落ち着かないまま作業を続けていた。

やがて、土星での調査も終わりを迎える。

「エンデヴァー」が地球への帰途につく、その前日。船長は乗組員全員を会議室へ集めた。

12人全員がそろうのは久しぶりだった。

誰からともなく雑談はしているものの、どこか落ち着かない空気が漂っている。
壁面ディスプレイには、土星の環がゆっくりと流れていた。

その前に立ったルーニー船長は、少しだけ困ったような表情を浮かべてから口を開く。

「私は、あまり演説がうまくないのだが」

少々たどたどしい口調だった。
その一言に、何人かが小さく笑う。

しかし船長本人は、冗談を言ったつもりではないようだった。



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